盗作事件史から考える佐野眞一の盗作疑惑事件

(以下の原稿は、溝口敦&荒井香織編著『ノンフィクションの「巨人」佐野眞一が殺したジャーナリズム 大手出版社が沈黙しつづける盗用・剽窃問題の真相』(宝島社)への執筆依頼に応じて書いたものの、編集部の独断で掲載見送りとなったものです。初稿を送った段階で一悶着あったのですが、こちらから譲歩できる限りでの書き直しなどを提案しても返信すらなく、校了を他の執筆者のツイートで知り驚いて連絡したところ事後的に掲載取り止めを伝えられたという、ちょっと経験したことのない経緯でのボツでした。編集部から告げられた掲載不可の理由は「他の執筆者への仁義にもとるから」というものでした。自分としてはそんなにヘンなことを書いたつもりはないし、多少は役に立つことも書いてあるんじゃないかと思っているものでもあったので、「Real-Japan」編集部に相談し掲載していただくことにしました。字数調整のために削除した部分を戻したり、誤字やおかしな言い回しなどを修正した以外は、ほぼ初稿のままです――栗原)


大型連載となるはずだった『週刊朝日』の『ハシシタ』が橋下徹大阪市長からの抗議により第一回で打ち切りとなり、その騒動に便乗するかたちで猪瀬直樹がツイッターにて唐突に暴露したことで、佐野眞一の数々の盗作疑惑が一気に表面化した。二〇一二年十月十八日から二十日にかけてのことだ。

佐野の知られざる旧悪は当然のごとくネット界隈にお祭り騒ぎを呼び起こし、間髪おかずに「「ノンフィクション界の巨人」佐野眞一氏の「パクリ疑惑」に迫る」と題する短期集中連載がウェブマガジン『ガジェット通信』で開始された(十月二十一日~)。

二〇〇八年に出版した『〈盗作〉の文学史』(新曜社)という本の調査のため、日本で起きた盗作疑惑事件の報道や論評には古今可能な限り目を通したつもりだったのだが、佐野の疑惑は初耳でびっくりした。この本は文芸における「盗作」が主題ではあるが、調査の初段では「盗作」「盗用」「剽窃」「無断引用」といったワードをキーにせざるをえないため、ジャンル問わず記事は引っかかってくる。だが、佐野眞一の盗作疑惑に多少でも触れた記述というものをついぞ見た記憶がなかったのである。

私のように佐野の疑惑に驚く者がいた一方で、「いまさら何を」「誰でも知ってることだ」という声も流れてきた。たとえば中森明夫はツイッターに「佐野眞一の盗作なんて今さらでしょ? ホントに知らなかったの? とはいえ、この期に乗じて佐野批判を夜中に連投ツイートする副都知事もな~」(十月二十七日)と書いていたし、福田和也と坪内祐三は『週刊SPA!』の連載対談「これでいいのだ!」で、「佐野さんが盗作してたっていう、どうでもいい話題もありましたね」(福田)、「盗作疑惑はもう、有名な話なんですよ」(坪内)といったやりとりをしていた(二〇一二年十一月六日号)。

猪瀬のツイートで、佐野の盗作疑惑が大宅賞の選評で問題視されたことや、『現代』編集部がお詫びを載せたことが掘り返されたが、なるほどそうした過去の事実を踏まえている人にとっては、有名でいまさらという感想になるのかもしれない。

しかし、大宅賞の選評にしろ、『現代』のお詫びにしろ、広く人の目に触れるものとは言い難いし、そうした事件があったことを新聞雑誌が報じなかったことも事実である。その「報じられなかった」という事実がまた出版業界に対する不信の念を広げてもいる。業界あげて佐野の手癖に目をつむり祭り上げてきたんじゃないのか、だから報じることができなくなったのではないのかと。

だが、と盗作疑惑事件を調べ倒してきた身としては思うのである。

どっちかっていうと、報道されたり事件として論じられたりするほうがむしろレアケースなんじゃないの? と。

盗作事件報道の変遷

この宝島社の『「パクリ・盗作」スキャンダル読本』(二〇〇六年)というムックでも一度整理したことがあるのだが、盗作疑惑に関する報道や論評というものは、歴史的に見ると実はそれほど多いものではないのだ。おまけに時代によってムラが大きい。以下煩雑なのでシロクロ問わず「盗作事件」で統一する。

戦後に限って大まかにいうと、盗作事件をマスコミが取り沙汰し始めるのは一九五五年あたりからのことで、六〇年代にはしきりに報道や論評がされたが、七〇年代に入ると漸減していき、八〇年代になるとパタッと途絶える。九〇年代も引き続きメディアは盗作事件を扱うことに積極的ではなく、井伏鱒二『黒い雨』事件(一九九三年)や立松和平『光の雨』事件(同年)、山崎豊子『大地の子』事件(一九九七年)といった大物が数例あったくらいに留まる。ところが二〇〇〇年代に入ると急に増え始める。

こうした増減が「盗作」そのものの発生率と相関しているかというと、おそらくしていないだろう。それはむしろメディア側の姿勢に起因している、というのが私の持論である。

一九五五年というのは石原慎太郎が「太陽の季節」でデビューした年だ。石原は翌年に同作で芥川賞を受賞し、文学史上絶後の大衆に訴えるスター作家となった。石原がスターと化したことで、メディアは、作家という存在をいわば芸能人の一種として見出す。そして作家という芸能人にとってスキャンダルである盗作事件にもニュース・バリューが生じることとなった。

盗作事件報道が七〇年代に漸減し、八〇年代に入りほぼ途絶えたのは、おそらくメディアが暴走し自爆した結果だ。六〇年代後半から七〇年代にかけて、大手新聞までが捏造やマッチポンプに近いかたちで盗作疑惑をでっち上げる事件が複数起こったのである。

本稿に関係してくるものとして是非挙げておくべきなのは、一九七二年に宮原昭夫の芥川賞受賞作『誰かが触った』に対して朝日新聞社が展開した盗作疑惑キャンペーンだろう。この事件はまた、ノンフィクションというものが盗作被害の対象と見なされるべき“作品”として発見された事件でもあった。詳しくは後ほど触れよう。

二〇〇〇年代になり再び盗作事件が目につくようになった主因は、いうまでもなくインターネットが普及したことだ。「2ちゃんねる」の開設は一九九九年五月三十日。この巨大掲示板は陰口や誹謗中傷の巣窟ではあるが、かつて新聞雑誌にあった匿名批評欄や、ほどなく休刊することになる『噂の眞相』などの代替装置として機能してきた面があったことは否めまい――質はさておき。

個人が設置する「検証サイト」やブログ、ツイッターを含めたソーシャル・ネットワーク・サービスなども小さくない影響力を持つようになった。自分のブログ記事から盗用された疑いがあるとブログ開設者が自ら告発して事件化したケースもある。

ネットが発火点となった盗作疑惑にはJポップやマンガといったジャンルのものがやはり多いが、田口ランディ事件(二〇〇二年)や篠原一事件(二〇〇五年)、飛鳥部勝則事件(同)など文芸にもシリアスな事件に発展したものがいくつかある。ノンフィクションでは、日垣隆事件(二〇〇六年)や唐沢俊一事件(二〇〇七年)などがネットから告発が出た代表的なところで、いまだに追及されている。

二〇〇〇年に浮上した平野啓一郎『日蝕』の盗作疑惑もネット発といえるが、以後のものとはちょっと経緯が異なり、作家の佐藤亜紀が自作の「ぱくり」であると自身のホームページで指摘したことが発端だった。平野は疑惑について沈黙を守っていたが、実に六年後に突如、開設して間もないブログで反論をした(「web2.0的世界において、「名誉」を守るということについて」二〇〇六年九月十五日付)。情報空間の変化により、ウィキペディアなどに事実と異なる不正確な、かつ不利益な情報が掲載され続けていることのデメリットが看過できなくなったというのがその理由だった。ネットの影響力の増大を考えるにあたり見過ごせない一件だろう。

とはいえ二〇〇〇年代も後半になると、ネットの火種をマスメディアが燃え上がらせるという流れも下火になっていき、二〇一〇年代以降はそれほど大きな事件は起きていない。

それだけに佐野眞一の疑惑が――これもやはりネット発ということになるか――、久々の大型案件として耳目を集めているということもあるのだろう。

ハシシタ問題に便乗した猪瀬が淀みなく事細かに具体的なツイートをして見せたことから察するに、猪瀬(あるいは猪瀬と彼のスタッフ)は佐野の疑惑を、たぶん最初の頃から逐一検証し収集してきたのだろう。だとしたら、どの時点でも同様の告発は可能だったはずだろうに――たとえば猪瀬『ピカレスク』(二〇〇〇年)により井伏鱒二『黒い雨』の盗作疑惑が注目を集めたあとなど絶好の機会だったろう――、なぜこのタイミングだったのか。そうしたことも考え合わせる必要があるのではないかとちょっと思うのである。

表現として発見されたノンフィクション

一口に「盗作」というものの、ジャンルごとに要点は異なる。

文章による表現に限っても、フィクションかノンフィクションかで盗作か否かについての評価の仕方は多少違うし、また時代によっても評価基準は変わってくる。ただし注意してほしいのだが、ここでいう「評価」とは、ジャーナリズムや論評などにおいてどのように扱われるかという意味であって、著作権法とはほぼ無関係であることだ。

さらに「盗作であるとされる作―盗作されたとされる作」の組み合わせによっても評価は変化する。単純に考えると四通りあり得るが、

(a)フィクション―フィクション
(b)フィクション―ノンフィクション
(c)ノンフィクション―ノンフィクション
(d)ノンフィクション―フィクション

このうち(d)は実際に問題になったケースを見たことがない(文章表現同士以外にまで広げるとわずかにあるが)。(a)~(c)がほとんどである。

(a)は説明は要らないだろう。ある文芸作品が別の文芸作品を盗作しているのではないか、というもっともポピュラーなパターンである。(b)はある時期以後、問題視されるようになったパターン。(c)は(b)よりさらに後に登場してきたパターンで、佐野の疑惑はすべてこれだ。

先に挙げておいた、宮原昭夫『誰かが触った』をめぐって起こった盗作疑惑は(b)のケースなのだが、ノンフィクションも盗作の被害の対象と見るべき“作品”なのだという認識が示されたのは、この一九七二年九月の事件がおそらく初めてのことだった。これ以前(b)パターンの事件は数例しかなく、大きく新聞沙汰になったのは、少し前一九七二年六月の、丹羽文雄が『親鸞』で学術書から「無断引用」したとされる事件くらいである。「無断引用」が事態を曖昧にする詭弁のために編み出された用語であることは前出の拙著他で何度か書いたのでここでは繰り返さない。このときの丹羽の弁明を見てみよう。

「文学書など創作の世界から転載すれば盗作などの問題になろうが、小説の中に学術書を引用するのは文学者の間で慣習化している」(『朝日新聞』一九七二年六月二十日付夕刊)

丹羽が「無断引用」したのは学術書だが、「創作」以外のもの、すなわちノンフィクションの類は一律に単なる「資料」としてしか見ていなかったらしいことがこの弁明からは透ける。「慣習である」という丹羽の見解はむろん方々から非難されたが、そんなふうに考えていた作家もいたに違いない。

宮原昭夫のケースは丹羽とはまた違う。ある手記(鈴木敏子『らい学級の記録』)に目を留めた宮原は、著者である鈴木に小説の素材として使いたいと申し出て許可も得ていた。ところが出版された小説には、手記のタイトルが参考文献に挙げられていないのはおろか謝辞の一言すらなく、不服に思った鈴木は苦情を申し立てた。それに目をつけた『朝日新聞』が、自社の週刊誌『週刊朝日』まで駆使して盗作疑惑事件に仕立てあげようとした、というものである。

『朝日新聞』は、盗作とまでは呼べないにせよ、素材である手記に頼り切った「借物小説」ではないかとキャンペーンを張り(一九七二年九月十日付朝刊他)、『週刊朝日』で文芸評論家・平野謙に鑑定させた(一九七二年十月十三日号)。

平野は宮原に同情的で、朝日新聞社の姿勢をむしろ批判したため「借物小説」キャンペーンは尻すぼみとなったのだが、このとき平野によりようやく、ノンフィクションといえども「創作」「表現」と見なすべきである、という視点が提示されたのだった。

依拠しているとはいえ、参考文献にタイトルが挙がってさえいれば問題になることはなかったろうと思われる程度の類似で、宮原によると、宮原本人は参考文献に挙げようとしたのだが、文芸誌の初出時にも単行本化の際にも編集者に拒否されてしまったのだそうだ。責められるべきは作者ではなく編集者だったわけだ。

『誰かが触った』をめぐる議論は、フィクションがノンフィクションに材を求めたときに参考文献として挙げるべきか、というところに行き着くのだが、実をいうと、今に至るもこれといったコンセンサスは得られていないというのが実情だったりする。アイディアを借りても表現が類似していなければ著作権侵害には当たらないから、これは結局のところ作家としての「モラル」とか「作法」に依存する問題であるということなり、とすると「人それぞれ」としかいいようがないからだ。山田風太郎などは「いつのころからか、小説を書くときその参考にした文献を表示するならいが生じました」が「それは料理店で料理の材料や仕込み先をならべたてるようなもの」なので「私は参考文献の羅列はごめんこうむっています」とわざわざ書き添えていたりする(『明治バベルの塔』)。

宮原の一件により、ノンフィクションが「作品」「創作」として発見されたことで、以降(b)フィクション―ノンフィクション・タイプの盗作疑惑事件が目立って多くなっていく。主なところを挙げると、堀田善衛『19階日本横町』事件(一九七二年)、山崎豊子『不毛地帯』事件(一九七三年)、綱淵謙錠「怯」事件(同年)、有吉佐和子『複合汚染』事件(一九七五年)といったところである。山崎豊子には盗作疑惑が複数あるが、初期の「花宴」事件(一九六八年)を除いてどれもこのタイプだし、有名な立松和平『光の雨』事件(一九九三年)や井伏鱒二『黒い雨』事件(同)もこのタイプだ。

それは「事実」にすぎない

(c)ノンフィクション―ノンフィクション・タイプの事例が盗作事件として浮上してくるのはさらに最近のことであり、数も多くない。関川夏央『二葉亭四迷の明治四十一年』事件(一九九七年)、猪瀬直樹『こころの王国』事件(二〇〇二年)あたりが嚆矢か。

猪瀬の疑惑を報じたのは『読売新聞』だったのだが、情報を事後的に総合すると、宮原昭夫のケースに似た、読売の猪瀬に対するネガティブ・キャンペーンだったようだ。疑惑の内容も似ていて、許諾を得ていたはずの手記の著者からクレームが出た、というものだった。

関川の件は、『二葉亭四迷の~』に、伊藤整『日本文壇史』からの盗用が多数あると指摘する書評が出たことで問題となった。書評を書いたのはノンフィクション作家の池田房雄で、つまり第三者による告発である。『二葉亭四迷の~』には参考文献一覧がなかったが、関川は、多数の文献を照らし合わせて「事実」を書いたのであって、それは伊藤整の方法と同じだと反論した。したがって争点は、参考文献に挙げるべきか否かと、記述が果たして「事実」なのかどうか、の二点であるということになるはずだったが、これといった進展もなく立ち消えとなった。

最近の例としては、二〇〇八年に、松沢成文前神奈川県知事の著作『破天荒力 箱根に命を吹き込んだ「奇妙人」たち』(講談社、二〇〇七年)に対して著作権侵害などの訴訟が起こされた事件があった。原告はノンフィクション作家の山口由美で、『破天荒力』は自著『箱根富士屋ホテル物語』(トラベルジャーナル、二〇〇二年)に依拠しており、複製・翻案にあたる箇所があると訴えたもので、山口は四十数箇所の侵害を主張したが、一審でほとんど退けられ、一箇所二行の侵害が認められたに留まった。比較しておこう。

「彼は、富士屋ホテルと結婚したようなものだったのかもしれない」(『破天荒力』)
「正造が結婚したのは最初から孝子というより富士屋ホテルだったのかもしれない」(『富士屋ホテル物語』)

一審はここを「実質的に同一の表現である」としたわけだが、しかし控訴審で「表現上の創作性がない部分で共通点があるにすぎない」と逆転し、最高裁でも棄却されて、二〇一〇年十月、山口の敗訴が確定した。

つまり、この箇所で類似しているのは歴史的事実にすぎず、表現ではないと判決されたということである。

この『富士屋ホテル物語』事件に限らず、著作権法に照らして侵害と認められた例というのは、ノンフィクションも含めた文芸の裁判においては知る限り一例もない。剽窃はなはだしいといわれた山崎豊子『大地の子』の裁判でさえ山崎の全面勝訴で終わっている。著作権侵害に対する司法判断のハードルは相当に高いのである。

「事実にすぎない」というこの判断は、(c)ノンフィクション―ノンフィクション間の盗作問題を考える際には特に重要になってくる。ノンフィクションも「創作」であるとはいえ、そこに書かれていることの大半は、表現形態の特性からして「事実」だからだ。

盗作、剽窃などというときのその判断の基準は、判断の主体が「モラル」や「作法」をどう考えているかの反映であることが多く、著作権法とは無関係な場合がほとんどである。ここをきちんと切り分けておかないと話がわやになるのだが、世間の盗作談義は大抵区別がついていないので大体わやである。

とはいえ、むろん著作権法が絶対だといいたいわけじゃなくて、司法がシロといおうが、作家のモラル的、作法的に許しがたい盗作剽窃なのだというケースもあるだろうし、個人的にも「こりゃアウトだろう」と思うものもある。

盗作告発では頻繁に「これを盗作といわずして何という」とか「呆れたパクリっぷりだ」などと情緒に訴えかけようとする煽りを見かけるけれど、そんなふうに論理ではなく感情に働きかけようとする議論になってしまいがちなのも、判断の基準を「モラル」や「作法」に求めざるを得ないことの歯痒さの現れなのだろう。

結局、盗作事件の難しさというのは、モラルや作法という規範によって人が人を裁くことの難しさにほかならないのだなあ、というのが最近の個人的所感である。

佐野眞一の盗作疑惑について

さて、というわけでようやく佐野眞一の疑惑である。

編集部が作成した盗用対照表というのが手元にあり、それを見ると、現時点でサルベージされているだけで、佐野の盗作疑惑は著作八冊、雑誌記事三点に及んでおり、一冊の本に複数の著作からの盗用が指摘されているケースもいくつかある。

ただし、盗作疑惑が告発される際の例に漏れず、単に語句が一致しているだけじゃないかというものから、明らかに引き写しと思われるものまで様々な程度のものが渾然としている。「池田大作『野望の軌跡』」における溝口敦『堕ちた庶民の神』からの盗用のように佐野本人がすでに認めて謝罪した件もあるとはいえ、これらを一様にパクリだ盗作だ剽窃だと批判するのは、佐野を叩くためにする議論といわざるを得ないだろう。

個々の盗用疑惑箇所についての詳細な検討は他の筆者がされるそうなので、ここでは、程度別に代表的と思われる箇所をいくつか抜粋して個人的な評価を試みるに留めよう。

まず、明らかに引き写しと思われるもの。

「ドキュメント『欲望』という名の架橋」(『新潮45』一九八六年九月号)と佐野良衛「東京湾横断道路の大魔術」(『創』一九八六年六月号)の類似や、『旅する巨人』(文藝春秋、一九九六年)他と石牟礼道子「山川の召命」(『ちくま日本文学全集 宮本常一』筑摩書房、一九九三年)の類似、「暮らしの大疑問」(平凡社『QA』一九九二年七月号臨時増刊)と尾辻克彦・赤瀬川原平『東京路上探検記』(新潮社、一九八六年)の類似などはこの例だろう。石牟礼と尾辻の件について佐野は「カギ括弧ではっきりと区切って分かち書きしなかった」「配慮が行き届かなかった」といった弁明をしているがいかにも苦しい(「「無断引用」問題をめぐる最初で最後の私の「見解」」『創』二〇一三年四月号)。真意あるいは真実が那辺にあろうと、盗用と指弾されるのもやむなしだろう。

続いて、類似してはいるが、事実が参照されているにすぎないと思われるもの。

『紙の中の黙示録』(文藝春秋、一九九〇年)の深田祐介『新東洋事情』(文藝春秋、一九八八年)との類似などはこの例になるのではないか。大宅賞の選評で柳田邦男が「他人の作品に書かれた事実(話題)をあとから取材して自分の作品に書いた場合、先に書いた作家の著作権はどうなるのか」と嘆いた件だ(『文藝春秋』一九九三年六月号)。

だが、同じ対象や問題を主題に選んだからといって別段非難されるいわれはない。その際に、深田著を参照して事実を確認したり、取材や記事の方向性を決めたりすることにも何の問題もない。両者を読み比べてみたが、問題になるほど似ているとは思えなかった。当該部分のそれぞれの作の中における役割も違っているし、佐野は独自の取材を加えてもいる。

指摘されている類似箇所を一つ比べてみよう。ここが一番似ているだろうか。

「だから日本の外務当局も日本に近い東南アジア諸国とは、労働力流入を懸念し、慎重にかまえて、査証免除協定を結ばなかったのだけれども、パキスタン、バングラディッシュとは、何の懸念も抱かずいとも簡単に結んだ」(『新東洋事情』)
「フィリピンなど日本に近い東南アジア諸国とは、労働力流入を懸念して査証免除協定を結ばなかった日本の外務当局も、わが国がまさか近い将来、この両国の出稼ぎの標的国になるとは思わず、いとも簡単に、この協定を結んでしまったのである」(『紙の中の黙示録』)

日本の外務当局が東南アジア諸国からの労働力流入を懸念して査証免除協定を結ばなかったのは事実だろう。パキスタン、バングラディッシュに対してはそうした懸念を持たず容易く結んでしまったのも事実だろう。「いとも簡単に」という言葉の選択が共通してはいるが、こうしたあからさまに創作性のない表現を捕まえて盗用と呼ぶのは強弁というものだ。

佐野が、深田の『新東洋事情』を読んで『紙の中の黙示録』の当該部分を書いたことはまず間違いないだろう。だが事実だけを参照したと判断し、参照先を明示する必要なしと考えたのだとすれば、参考文献に挙げなかったことをもって責められる根拠は少なくとも法的にはない。引用ではないからだ。

引用ではない以上、参考文献に挙げる、すなわち典拠を明らかにするか否かは作法やモラルの問題となる。深田はこの類似を不愉快に思ったようだが、もちろんそれを故なしとするわけではない。何しろそれは作法やモラルのすれ違いの問題であるのだから。

一方、柳田邦男が選評で述べた見解は見当外れといわざるを得ない。小谷野敦がこの件についてブログで「瓜二つというほどに似てはおらず、(…)同じ対象に取材したらそうならざるをえまい」と書いていたが、同意である(「猫を償うに猫をもってせよ」二〇一二年十月二十五日付)。

次に、似ているが明らかに盗用とはいえないもの。

佐野の『化城の人』(『週刊ポスト』連載。未単行本化)には複数の著作からの盗用疑惑が指摘されていて、その中に竹中労『聞書・庶民列伝 冬の巻1』(潮出版社、一九八三年)がある。竹中著からの盗用とされる箇所も複数あるのだが、いくつか竹中の文章でないものが紛れ込んでいる。具体的に見てみよう。

「〔風浪が荒れてくると、彼は船首に仁王立ちとなり、「荒浜の荘三郎の船だゾ」と大音声に叫んで、船夫たちを叱咤激励したと伝えられています〕(前出・覚書)」(『聞書・庶民列伝』)
「風浪が激しくなると、船首に仁王立ちになり、「荒浜の庄三郎の船だぞ」と大声をあげて、船夫たちを叱咤したという」(『化城の人』)

『聞書・庶民列伝』における記述がカッコ(〔 〕)で括られているのがわかる。ここは実は、竹中が、話を聞いた郷土史家・北川省一の著作「牧口常三郎覚書」から引用した文章である。盗用されたとされている竹中のこのあたりの記述は、北川の著作や『荒浜村史』という書物から引用したり内容をかいつまんだりしながら、牧口常三郎の出身地である荒浜村について書いたところだ。

だから比べた部分に関する疑惑は正確には、竹中著を介しての北川の文章の盗用ではないか、とされるべきものということになる。

ところで佐野はこの箇所の前に「この土地に古くから伝えられるところでは」という断りを置いている。北川著も「伝えられています」と書いているから、比べた箇所はおそらくたしかに北浜村に伝承される逸話で、北川はそれを採集記録したのだろう。

さて、伝承とはすなわちパブリックドメインであり著作権などというものはない。とするなら佐野がどこでどう知ったかにかかわらず、この逸話を書き留めることに何ら問題はないはずである。問題が生じるとしたら、北川の記述つまり表現に創作性があり、佐野がその表現を模倣している場合だが、引用した北川の文章にそれほどの創作性があるといえるだろうか?

扇情ではなく議論を

佐野の擁護めいたことを書いてみたが、もちろんそのような意図はない。佐野とは一面識もないし、別に彼の愛読者でもない。ただ、あまりに糞味噌一緒にした糾弾が目に余るから水を差したくなっただけだ。

佐野があちこちから引っ張った情報や文章を切り貼りするようにして著作を濫造してきたことはおそらく間違いのないところだろう。そして、まだこの先続々と盗用疑惑が浮上してくることだろう。

それが猪瀬直樹がツイッターでいったように「癖」なのか、佐野のデータマンだった安田浩一がいうようにデータマンに依存しすぎた故の失態なのか(『東京新聞』二〇一三年三月一九日付朝刊)判断するだけの材料を持たないが、いずれにせよノンフィクション作家としての「モラル」や「作法」を問われてしかるべき事態ではあると思うし、佐野に依存してきた出版界の構造も問われるべきだろう。

ただ私個人としては、先に述べた「盗作事件の難しさというのは、モラルや作法という規範によって人が人を裁くことの難しさにほかならないのだなあ」という見解というか感慨があるせいで、そうした追及にあまり動く気はしないのだ。盗作疑惑を追ってきて扇情的な告発にいい加減うんざりしているというのもあるし、どのみち佐野のノンフィクション作家としての生命はこれで終わっただろうと思っているせいもある。

ならばせめて佐野の屍を踏み台にして、著作権侵害に当たらないが罪を問われるべき盗作や剽窃とはどういうものか、それを断罪するにはモラルや作法に依るしかないのか、あるいはモラルや作法での断罪に客観性や説得力を与えるうる基準を設けることはできるのかといった、数々の盗作事件を経てきながら現在まで曖昧なまま持ち越されている問題について、多少でも認識を進めるような議論がなされたほうがまだしも実りがあるんじゃないかなあと思う次第である。

投稿者:栗原 裕一郎
1965年神奈川県生まれ。著書に『〈盗作〉の文学史』(新曜社、2008年。推理作家協会賞受賞)、共著に『村上春樹を音楽で読み解く』(日本文芸社、2010年)、『本当の経済の話をしよう』(ちくま新書、2012年)など。
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