(この文章は2011年4月10日に行われた対談の模様を編集したものです。元の対談はこちらをご覧ください。)

5. 計画停電・エネルギー政策の問題点は何か

勝間:残念ながら今の内閣に私はそんな発想があるとはまったく思えませんけど。

郷原:まったく思えないですね。例えばなんとなく想像できることは、経済を大幅にコンパクト化していかざるをえないことが不可避ですよね。

勝間:エネルギー問題しかり。

郷原:ええ。そういうボトルネックが生じちゃってるわけだから。

勝間:しばらく2年は立ち直れないでしょうから。

郷原:そうすると今まで、震災前の経済っていうのを前提に組み立てていた企業の組織とか、企業の中の人事評価とか、あるいはルールとかですね、上司と部下の関係とかですね。いろんな企業の仕組みというのが、まったく違う次元の経済社会の適応を考えていかないといけなくなると思うんです。ですから、ある意味では日本の社会の中ですごい何か息苦しさとやり場のなさみたいなものを感じていた人たちこそ、これからアナタたちにチャンスが回ってくるかもしれないっていう考え方をもって、いろいろ考えてもらいたい。

勝間:ひとつそこで私がどうしたらいいのかと思ったのは、計画停電の頃にみんながすごく行儀良く列車を待って並んで、ホームいっぱいにトグロを巻いてるような写真がよく映りましたよね。私はあれを見てちょっとびっくりしたんですね。

郷原:うんうん。

勝間:2つびっくりして、1つはまずどうしてこんなにホームに人が溢れるような状態に対して、みんながそれに参加してしまうんだろうと。2つ目として、このような状態を起こしたことに対して、どうしてみんな美談として捉えてしまって抜本的におかしな話だと気づかないのかって。この2点に関して正直ぞっとしたんですよ。

郷原:うん。どの地域を計画停電の対象にするだとか、どういう順番にするかとか、私はやっぱりある程度基本的なルールというのを開示するべきだと思うんです。何を判断基準にしてどういうポリシーでやっていくのか。そういったことを何も開示しないで全部おまかせの世界でしょ、官邸とか東電に。

勝間:はい。

郷原:よくそんなことで従えるかって話ですよね。みんな納得できてるのかって。

勝間:してないですよぜんぜん。なんでそれこそ千代田区、中央区、港区だけが特別扱いなのかとか。結局、23区のうち21区はほとんど停電しなくなりましたからね。

郷原:そうですよね。ですから、それは何か政治的あるいは社会全体の資源配分的な発想はあるんでしょう。でもそれは基本ルールとしてきちんと明確化して、みんなに示してもらわないと。本来であれば違ったやり方をすべきなのに、恣意的にそういう計画停電の地域が選定されている可能性だってあるじゃないですか。

勝間:一応私たちも質問状出したんですよ。どういう選び方をしてるんですかと。そしたら、高圧変電所の単位で選んでいて、その変電所の中にひとつでも何かクリティカル施設が入っているとそこを全体の停電対象から外していますと。じゃあ問題はどういう単位でそういう高圧変電所があるのか、そのクリティカル施設とはどういうものなのかって開示がなされてないんですよね。

郷原:そう、それがルールなんですよ。そういったルールをちゃんと示さないといけない。恐らく港区中央区とかはここを停電させたら国家の機能の中枢部分が失われるとか、企業活動に重大な影響を与えるということが前提としてあるんだろうと思うんです。これは想像はできますよね。それも明示した上で、それ以外にもどんなルールでやっているのかしっかり示せば、みんな納得できると思うし、明日計画停電します、明日止めますというのも基本的にどういう判断なのかというのを示せば。

勝間:なぜしようと思ってなぜやめたのかを。

郷原:ええ。

勝間:それでいろいろ停電のグラフには嘘があって、嘘といってはあれでしょうけど。
需給をずっと開示しろ開示しろとみんなでプレッシャーかけて、ようやく需要を開示しはじめましたよね。でも、正確には需要ではなく、ある程度需要予測をしながら自分たちで勝手に想像して電力を送るので、本来の需要というよりは需要予測の結果働いた電力量なんです。

郷原:うんうん。

勝間:だから需要予測に対して本当にそれが使われているのかどうかも分からないし、あとは郷原さんがおっしゃっていたように本当にどれだけの能力があるのかということについてやっぱりまだよく分かってないと。

郷原:そうですね。だからそういうことの連続というか、そういうことの積み重ねが、こういうとんでもない局面における責任ある対応っていうものを孕んでると思うんですよ。もっと説明を求めるところは求めていかないといけないし、こういったことについての基本的な情報を開示しなさいっていう要求をつきつけないといけないのに、何かそこがすごく甘いじゃないですか。マスコミも含めてね。

勝間:計画停電のサイト落ちちゃったので私ミラー載せたんですけど、なんでこんな稚拙な管理をしてるのかテプコの友人に訊いたんですよ。そしたらまずテプコにはインターネットの知識はほとんどないと。テプコの内部はネット接続を禁じられているんだそうです。

郷原:ああなるほど。

勝間:いろんな情報がテロリストとかに知られたらまずいので。だから基本的に社内全体がインターネットにものすごく疎いと。加えて、記者クラブになるべく先に通してからインターネットに出さないと、記者クラブにただでさえ苛められているのにますます質問という形の詰問が待っていると。

郷原:なんか後進国と変わらない電力会社に、こんな重要なところを我々は委ねていたんですね。情けないですね本当に。

勝間:なんて言ったらいんでしょうね。私はよく悪意と無能力を分けましょうってことを言わせてもらってるのですけど、本当に悪意じゃないと思うんですよ、全体的に。

6. 東京電力の「安全神話」の問題点を探る

郷原:私は5年前に検事退職したときに、退職金で東京電力の株を1000株買ったんです。

勝間:はい

郷原:それで今回震災で原発がこうなったとき、証券会社の人がどうしますかって電話してきて。考えたんだけども一応2つの理由があって、1つはなんだかんだと言っても非常勤とはいえ総務省の顧問とかという立場もあるじゃないですか。だから大臣と話をしようと思えばできるし、消防庁の長官とも話そうと思えばできるし

勝間:そういう立場が近いと

郷原:私が売るということはインサイダー情報というね、コンプライアンスの問題もなくはないということと。
それと、私はほとんどの電力会社で講演もしてきたしいろいろと電力会社の人もよく知ってるし、そういう意味では電力会社にコンプライアンスを指導する立場でもあったわけだから、自分の責任でもある。せめて株主としての責任ぐらいはここでまっとうして、紙クズになってもそのまま甘んじて持っていようと。絶対売らないです。とにかく仕方がないと思って諦めました。

勝間:テプコの基本的な問題というのは、まあどのインフラ系もそうですけど地域独占の問題ですよね。なぜ公共事業的なものが地域独占になるとコンプライアンスが悪くなるのでしょうか

郷原:確かにお役所と似たようなものになるんですよね。電力会社の仕事というのは公共的な役割が与えられてて、抽象化されたいろんな価値を同時実現するためにまとめられるんですよね。それが使命だという意識はあるんです。

勝間:そうですね。

郷原:とにかく安定供給をしなければいけない。それからいろんな大規模な施設を危険に晒してはいけない。そこに法令があるわけです。法令とか規則が。

勝間:確かにエネルギー政策や、その国策に則したミクスを決めなければなりませんよね。

郷原:その法令というのが、いろんな抽象的な価値を全部同時実現するようにきめ細かく決められているかというと、そんなもの無理ですよ。だから広域的に電力会社がきちんとその業務をやっていこうと思えば、法令に縛られるんじゃなくて、自分たちはどういう価値をどのように作っていかなければいけないのかのをまずしっかり頭に入れ、そういう目的のために法令にアプローチしていくんだと。だから電力会社こそ法令遵守から脱却して本当の自分の頭でその社会の要請を実現していくことを考えるんだと、私はいろんな電力会社で言ってきてみんなすごく納得して聞いてくれたんだけど。結局何も考えていなかった。

勝間:それで実際に起きたことに対してある意味の思考停止ですか。

郷原:そういうことでしょうね。ただ今回福島の原発事故が起きたときに直感的に思ったのは、電力会社の問題だけじゃなくてこの日本の社会全体が原発の問題に関して思考停止していたんじゃないかと。その思考停止のキーになっていた言葉が、絶対安全。マジックワードですよ、絶対安全。

勝間:私が原発会社に直接聞いた話では、エンジニア的な安全ということでしたけれど。それが内部で発表した安全基準と外部のそれが違うということですか?

郷原:いやいや。そうじゃなくてね。絶対安全っていう言葉が目的化してたってことです。

勝間:そんなことありえないですよね、絶対安全なんて。

郷原:でも実際に世の中の多くの人はそういうふうに思わされてきたし、その絶対安全という確信、絶対安全という神話が維持されることが自己目的化してきたんです。それがちょうどこの本の中で書いてきた、検察の世界と大相撲の世界との共通点なんです。

勝間:八百長はないと

郷原:ええ。まず検察の世界でいえば検察の正義というのは神話の世界。理屈抜きに検察は正義だと確信をしてきたと。検察がやることは日本人は。

勝間:検察は間違ったことはやらないから、間違ったことは正しいことに変えちゃうわけなんですね。

郷原:だから検察はこんな大阪地検の事件を引き起こしたんです。結局、検察の正義っていうものが中心になって世の中が動いていると思っちゃうんですよ。だから検察の正義を守るためには証拠もすべて押さえる。言ってもないことを調書に取ってもいいし、多少乱暴なことをやったっていいし、利益誘導をやったっていいしというような発想が、極端なところまでいくと具合の悪いものは隠したり変えたりというところまで行ってしまう。根本にあるのは検察の正義っていう神話なんです。この神話を維持しようとする力がこういういろんな問題を生じさせてくる。
大相撲の世界だって、結局八百長があるかないかの二分語で考えてる。訴訟までされて民事訴訟で損害賠償までとって、八百長はない八百長はないとね。

勝間:でも八百長の定義にもよりますよね

郷原:そんなものハッキリ言える話じゃないでしょう。それと同じように、今回の原発の問題でいえば、絶対安全っていう確信を維持することはこの原子力の世界の人たちのひとつの目的。

勝間:神話。

郷原:神話だったんです。

勝間:まあ原子力の世界というのは東電だけでなく取り囲む。

郷原:みんなそうです。だからこの朝日新聞にも詳しく内容出てましたけれど、あとから当初の対策は甘かったと指摘されたと。これですよこれ。

勝間:安全なものだから。

郷原:安全を疑って進んでいかなければいけないじゃないですか。努力していかなきゃいけない。

勝間:今、先生がおっしゃったように絶対安全だと決めちゃったから。

郷原:そうです。絶対安全の世界というのは神聖不可侵のようなものだから、あとから絶対安全って言ってたのに実は絶対安全じゃなかった、嘘だったとは言われたくないわけなんです。

勝間:それはいつからはじまったんですか。

郷原:ずっとまえからですよ。ずっと検察の正義が神話として守られてきたと同じように、その絶対安全の世界が中心に動いてきたわけですよ。
しかも重要なことは、我々が絶対安全というものが何をもって維持されているか、思わされてきたのかについて、私も含めて地震国日本においても原発は地震が起きてもぱしっと止まるので、チェルノブイリのようなことにはなりません、安全ですと思わされてきたんですよ。

勝間:これは実際何度も地震で止まってるんですよね。

郷原:そう、だからやっぱり安全だったでしょと。まさかこんなに絶対安全が崩れるとは思わなかったわけです。新潟の中越沖地震の後、私はたまたま新潟で講演があってこの際だから地震で原発内部がどうなったのか見せてもらおうと思って見学に行ったんです。

勝間:はい。

郷原:東京電力の方は快く受け入れてくれて案内してくれたんですけど。私が驚いたのは、ぜんぜん関係ないところで直接工場と関係ないところでクレーンが動かなくなっただとか、そういうトラブルはあったけども、原子炉やその周辺ってものすごく頑丈にできてる。で、まったくびくともしない。あれだけの地震でも。いやあやっぱり原発っていうのは言われてるとおり絶対安全なんだなと思ったんです。で、一回そういう場に行ったんだけれども、そのとき私は原発というのが止まってもそのあと冷却できなければとんでもないことになるんで冷やすことが大事なんです、という説明は受けた覚えがないんです。

勝間:ああ、止まれば大丈夫と。

郷原:うん。止まれば大丈夫と私は思っていたし、その確信に反するような説明ってぜんぜん聞かなかったから、私はあの柏崎の原発に行ったあともそれまでどおり原発というのは止まれば安全だというように思ってたんです。そしたら今回初めて止まっただけじゃダメなんだと。

勝間:冷やす必要があると。

郷原:冷やせなくなったらこんなことになるなんて、日本人全体の中でいったい何割の人が認識してましたかね。

勝間:やはりデータを見て一番驚いたのが、津波の想定が5.7メートルでマックスというのがどういうエンジニアリングからきてるのか、これの説明を受けたんですよ。そしたら、当時の地震津波の専門委員会でそう決めたと。

郷原:そうでしょうねえ。

勝間:それで決めたものを守ったと。まさしく法令遵守。

郷原:そうそう、法令と同じような効力の決定があったからそれを遵守したんですよ。

勝間:すみません。歴史上5.7メートルを越えることってありましたよね。ただ、そのとき福島原発の地形等を考え専門家がそう計算したんだから、それに従いましたという説明だったんですよ。

郷原:どうしてそういう計算ができるんですかね。

勝間:仮に5.7メートルが合っているか間違っているかはともかくとして、5.7メートル越えることのプロシジャーや安全対策っていうのも必要ですよね。

郷原:もちろん津波が来た場合もそうだし、それ以外の場合も、地震が来たときぽんと止まってしまえば、停止についてはそれでおしまいですよ。
ところが冷やすという部分は、継続的にやってかなきゃいけない話で、そのやり方についても何かトラブルが生じたらそれに変えてどういう冷やし方をするかとか、その冷やし方に問題が生じた場合はどういう対応をするかとか、その結果もし万が一の危険が発生したときにはどういう情報開示をするかとか、まわりの住民にどういう範囲で避難をしてもらうとか、いろんなことを考えなきゃいけないわけです。

勝間:実際、私たちは気になって調べたんです。

郷原:ぜんぜん考えている気配がないですよね。

勝間:いやマニュアルはあったんです。私たちも当然ないものと思っていたので、あったから逆にびっくりしたんです。なぜこれがすぐ発動されなかったのかという問い合わせをしたら、東電単独では避難させるとかできないので政府とのやりとりでどうも。

郷原:ただ、それをやるというのは一応の想定のもとで作られているだけのものであって、実際に起きる事態は刻一刻と変化していくし、想定とは違う事態が起きたとき自分の頭できちんと考えて適切な判断ができるようなマニュアルの作り方になっていたとは思えないです。

勝間:まさしくそのセンシティビティはあったんだけど、そのあと対応するスピードにおいて意思決定の仕組みがぐしゃぐしゃだったとみてるんですね。

郷原:だから結局またこの本出しちゃいますけど、このサブタイトルの法令遵守からルールの創造へという部分なんです。そういうあらかじめ作られたガチガチの法令や規則に縛られるんじゃなくて、上から命令されてそのとおり動くんじゃなくて、現場の状況に則して基本的なルールを自分たちで創造して、そしてその基本的なルールに則って対応していくことが重要だし、それが状況が変わってきたら状況に応じてしっかりルールを作り直していくということが重要なんです。ところがさっき言った絶対安全という発想の元では、危険は生じないという前提で考えちゃうじゃないですか。

勝間:あるいは生じたとしてもそれを公表できないと。

郷原:ええ。だからそこの部分はあらかじめルールを作って公表するとか、備える訓練をするシミュレーションするということを、本当に現実感を持ってやるということが中々できないわけです。だからああいう事態が生じたときにも、この事態において自分たちは基本的にこういうルールでやっていきますというのが何も示されてないわけですよ。

勝間:それもまったく同じことを聞いて。それまでいくらでも衝突実験やれるじゃないですか。ああいうこと箱庭的なことはできないんですかって私も聞いたんですが、やったことはないと。

郷原:やはり何が重要であるかを考えないといけないと思うんです。基本的に重要なことは、まずあれだけ重大な原発事故が発生したら当然放射能を封じ込めないといけないはずです。放射能が出ないようにまず物理的に危険を生じさせないようにする。これがまず1番目。それ以外にもトータルでいえば何兆円にもなるような電気を作る発電所の施設をなんとかして保持・保存したい。これだって理由のひとつの価値ですよね。でも、その一方で周辺の住民たちに危害が生じないようにしないといけない重要な価値がある。それに、離れたところにいる人たちにもその放射能の放射線による影響が及ばないようにしないといけないし、それに関する情報を提示しないといけない。
大きくいえばこの、放射能を押さえ込むことと、施設の保持と、周辺住民の安全と、情報提供。この4つをどういうような関係で守っていくのか。どういう場合にはこれを最優先させるのか。どういう場合には施設の保持を諦めるのか。諦める、廃炉にする、というようなルールは事前に決めておかなきゃいけなかったと思うし、事前に決められなかったなら事後的にでもしっかり政府と話し合って開示して、そのルールに則って行動していればみんながもう少し安心していられたんじゃないかと思うんです。

7. なぜ政府や東電は危機管理に不向きなのか

勝間:残念ながらどうも東電と政府側の話を聞いてると、お互いがお互いを非難しているように聞こえるんですけども。

郷原:うん、まあ結局責任回避的な発想だから。お互いに考えてることをすり合わせて、今言った4つの価値を同時実現していくために最も適切な方法はなんなのかっていう発想が全然できてないから。

勝間:ボクたちはボクたちで法令遵守してましたと。だから悪いのはあちらです、という言い方になるんですね。

郷原:まあそうなるね。

勝間:そういう発想ですよね。

郷原:自分たちの領域だけで考えているからそうなっちゃう。

勝間:これも失礼な言い方ですけど自力の問題ですよね。災害時って普段の物事ができなくなるので、もっともっと能力が下がりますよね。普段からできないことが災害時にできるわけないです。

郷原:ただこれは人の適性なんですよ。人によっては火事場の馬鹿力というか要するに有事に強いタイプの人もいるんです。そういう人ってちょっと変わり者だから、平時型の戦後日本的なガチガチの構図の中ではだいたいあまり評価されないんです。

勝間:今回、賛否両論あると思うんですけど政府の災害対策が多少でも動き出したのは、仙石さんを戻してからって聞いてるんですね。

郷原:あの人が何か良いことやったんですかね。

勝間:なんか半分怒鳴りまくって、要するに法令遵守をする人たちに対して動かしたと言われてるんですよ。

郷原:うーん。まあでもそれが具体的に何がどうなったんですか。

勝間:いくつか、安全策をとっても通れない道とか高速とか。

郷原:結局それはそのぐらい力を持ってるというところがあるから、常識的に考えてもこんなところこうすりゃいいだろうという発言権と力があったということですかね。

勝間:まあ影の総理と呼ばれてますからね。

郷原:うん。

勝間:逆に表の総理はそこまでやれるだけの力がなかったということですか。

郷原:そうですねえ。ですから、結局こういう状況において最も力が発揮できる人たちがしっかり頭を使って、そういう人たちが中心になって新たなコラボレーションの形を作って柔軟な対応をしていくってことが必要なんだけども、日本のこれまでの平時体制というのはまったくそれとは違う人の評価をしてきたし、だからこういうときダメなんです。
どちらかというと、さっきのあれでいくと私も戦後日本のガチガチの組織体制の中では絶対評価されない人間なので。私も完全に有事型の人間なんですね。恐らくたくさんいると思いますよ。はみ出し者の中に、こういうとき本当に機会を与えられたら活躍できる人っているんです、絶対。

勝間:でもそういう人たちは組織から弾かれているから。

郷原:弾かれてる、もう最初から。

勝間:もう抜けてるか出世しないかのどっちかですよね。

郷原:だからそういう人の発想は全然違うんですよ。例えば私ね、ツイッターの情報の中で一言ある人が呟いているのを見て、他の人にはまったくそういう話は聞いたことないんだけど、あれこの人の言ってることって鋭いんじゃないかなって思ったことがあって。さっきの原発の停止の話です。みんな原発が地震で瞬時にぽんと停止するから安全だと思ってきたじゃないですか。だから今回も動いていた原発も止まった、ああ、これで一応安全だと思ったじゃないですか。
でも、結果的に発生したことから振り返ってみると、ひとつぐらい自動的に止まらないで生きててくれたら、手動で様子を見ながら止められるというやり方をしていたら、ひょっとしたらこっち側の非常用電源が落ちちゃってもその生きてる原発の電力を使ってポンプが動かせて、冷却機能が維持できたかもしれないじゃないですか。そのことを言ってるんじゃないかと思ったんです。

勝間:すごく良く分かります。要するに、へたに止めるとそのまま冷却する必要があるんだけど、極端な話壊れないかぎりゆっくり動かしたほうがかえって安全じゃないかっていう発想ですよね。

郷原:あの福島原発は、地震の揺れそのものが原子炉に対して安全じゃなかったわけじゃないんですよ。

勝間:耐えられた

郷原:まだ恐らく余裕があったと思うんです。そういう場合には瞬時に止まるんじゃなくて、様子を見ながら手動で止めていくっていう発想もあったんじゃないかと思うんです。

勝間:でもたぶんこれは私の想像ですけど、チェルノブイリって手動で動かせて爆発させたと思うので。恐らく原子力発電のさまざまなものは、人間の手を加えるということがかなりの部分で禁じられていて。

郷原:うーん。そうなんですよねえ。でも結果的に今回はそれがマイナスに働いた。

勝間:もうひとつ問題なのが、福島原発は自分で自分には給電できないんですよね。

郷原:ああそうなんですか。

勝間:あれは東北電力からきている電流を引いて。

郷原:そうか、そもそも、あそこで原子力発電をしていてもあそこの電源供給できないんですね、東北電力の管内だから。そもそもそのこと自体が問題ですよね。

勝間:あと、作っていたタービン系の電源ケーブルを、同じ仕組みで冷やそうとしたんだと思います。それこそ同じ災害では同じような破れ方をするわけなんですよね。

郷原:でも結局、東北地方に東京電力の原発があって、その地域の電力供給とぜんぜん関係ない施設が稼動しているっていうこと自体もやっぱり問題なのかもしれないですよね。

勝間:私は実際、福島とか六ヶ所村を見学してますんで、これも難しいなと思ったのは、もし仮に絶対安全とは言いませんけど本当に安全なときに地元はどう考えていたのかというと、やっぱりあれはあれで大事な雇用主だったという側面もあるわけなんですよね。

郷原:まあそうですね。元々原発の誘致には地元が積極的だった。昭和30年代ってなんか原爆は危険、原発は安全っていう世の中そんな確信があったんですね。原子力の平和利用に対して社会全体がすごい許容していた。

Vol.3へつづく)