日本の社会が最近、活気を無くしたと思っているのは私だけではないと思う。その原因はデフレとか人口の減少とかいろいろ言われているが、もっと根幹の問題は教育問題、大学入試と言う社会問題、ガラパゴス化した学歴社会と言う問題ではなかろうか。

学歴と言う言葉は、二つの意味が有り、

(a)大学入試の難関をこえてどの大学に入ったかと言う学歴

(b)高卒、大学卒、修士、博士と言う意味での学歴

の両方がある。先日、NHKの特別番組で東大教授と阪大教授が出席して学歴社会の話をしていた。残念ながら両者とも国内にしか目を向けておらず、主に(a)の問題だけを学歴として議論していた。阪大教授の方は独仏の学歴の話はしたが半世紀前の状況をステレオタイプ的に話をした。工業、産業の世界での競争の根幹は教育で、世界的に見ると状況は変わって来ている。天然資源のない日本は知能立国として生きて行くしか存続する道が無い、日本が持つ唯一の資源は我々の頭脳、つまり日本全体としての学歴である。しかし、(b)の学歴では日本はいつの間にか低学歴社会になりつつある。

日本の大学進学者はここ20年程、50%を切っており、OECDの平均以下で、この割合はずっと頭打ちである。一方、欧米諸国は80%を超えるところまで順調に伸びている国も出てきている。お隣の韓国は90%近くまで延びている。企業の方と話をしても、特に工学部の技術提携などでは「博士号を持っていないと海外では相手にされなかった。」と言う状況にさえなっている。特に先端技術の分野では博士号を持っているのが当然の状況になっている。日本は家庭の経済を犠牲にしてまで教育熱心である、それでまさか日本人は日本が低学歴とは夢にも思っていない。しかし現実には世界的に見ると日本はすで低学歴化社会になっている。

その原因のひとつは異常な大学入試である。今の日本の大学入試に良く似た現象で歴史的に中国の科挙制度がある。千年以上にわたりこの制度は中国の官僚選考のための試験制度となり、初期はこの試験制度により良い官僚が生まれ国が栄えた。しかし、この制度を続けることにより、無意味なただ単に難しいだけの試験になり無気力なことなかれ主義の官僚を生み国家が疲弊した。よく日本が海外から良い物だけを輸入し悪い物は排除して来たとされる具体例の一つがこの科挙の制度である。日本は中国から律令制などを輸入したが、この科挙の制度は輸入後短い期間で廃止している。一方、朝鮮もヴィエトナムもこの制度を輸入し、本家の中国でも止めた後でも最後までこの制度を続けたのはヴィエトナムであった。高校のときに世界史で、この制度の弊害がわかっているのにやめられなかった国として中国も朝鮮もヴィエトナムもだらしない国と言う説明を受けた。

厳しい試験はその問題提起の仕方により受験者を活性化することも出来るが、反対に脳の記憶力だけが向上し人間全体として事なかれ主義の無能力化することも可能である。本来なら何かを行動するための能力を見るのが科挙の試験であったが、自分の知識を使って何かをしない口実を見つけるのに使われて社会が停滞した。

この科挙の制度と日本の現在の大学入試にはあまりにも酷似する所が多くなかろうか。日本の教育制度を歪めているのは疲弊した大学入試制度で、これが高校の教育、小中学校、幼児教育まで悪影響を及ぼしている。これは重要な日本の欠陥で、大学入試に余りにも不自然なエネルギーを使い(a)の学歴に注目しすぎている状況で(b)の意味での学歴では日本はいつのまにか低学歴社会になりつつある。日本人は勉強好きで、しかも教育に凄い時間とお金(家庭が多くの教育費を出すが、国の教育費はOECD国中で最低)をかけている。この感覚で日本は高学歴社会にちがいないと思われている方が多いが、いつの間にか日本の学歴は落ちて来ている。日本の未来にだんだん希望が見えなくなって来ている。早く何とかしないと日本の競争力が低下するばかりである。

大学入試は大学教育の高効率化という意味で非常にうまい方法であった。(a)の意味での学力社会は大学のランク付、指向性を決定し、各大学の学生のレベルが均一化し、大学の教育の低コスト化、高効率化が可能であった。その大前提は健全な競争であるが、全入学時代などと言われ始めたあたりから競争が不健全になり、大学進学率も上がらず、社会レベルの色んな層からの新しい血が大学生にならなくなり、弊害のみが科挙の制度のように日本の社会の健全な成長を蝕んでいる。一方、韓国は日本の大学入試の健全な時代を、偶然であろうが、大学進学率をずっと上げることにより続けることができている。つまり、社会の新しい血が学歴社会に入り(a)の学歴社会を健全に続けている。韓国の学歴社会の弊害はこれから現れてくると思う。

日本は約20年前に政府は大学に対する投資を止め、その後は国民の家庭からの支出により大学進学させ、家庭の負担が増大し、進学率が上がらず、しかし、大学入試のシステムだけを維持しようとした、これが日本の教育の弊害の根本である。

解決策は国民が選ぶべきであるが概ね次の2つの内のいずれかであろう。

1.大学入試を維持し、大学進学率を上げる。

2.進学率をあげないなら(大学に対する投資をあげようとしないなら)、大学入試の形態を大幅に変える必要がある。