以下は稲門経済倶楽部で2011年7月2日に行った講演の議事録を、同倶楽部の皆様のご了承を得て特別に以下に掲載します。どうもありがとうございます。

 稲門経済倶楽部とは、 高橋亀吉が早稲田大学の学生時代に 創設にかかわった、学生による経済研究サークルである 「早稲田大学経済学会」の業生の団体です。 経済学会は2015年に創部百周年を迎える 歴史のある大学の学生サークルです。

ーーーー

田中秀臣先生(上武大学教授) 講演録

「東日本大震災後の経済を考える~高橋亀吉から学ぶべきこと」

?稲門経済倶楽部 平成23年総会講演会(2011年7月2日)

?●高橋亀吉研究

初めまして。ご紹介にあずかりました田中です。高橋亀吉についてかれこれ十年以上関心を持って自分なりに研究してきました、最近ちょっとさぼっていたのですが、今年三月の東日本大震災を契機にして、経済学史学会という割と古い学会があるのですが、そこで関東大震災のときに日本の経済学者はどんなことを話したか、もしくは活動したかということについてまとめて学会で報告しろという依頼を受けて、久しぶりに関東大震災のときの高橋亀吉を含んだ日本の経済学者についてまとめてみました。

今日は二点ほど資料をお配りしていますが、それに沿って話すわけではなくて、皆さんの反応を見つつオリジナルでやっていこうと思うので、あくまでもそれは時折参照にするものです。資料2「大震災と復興の経済学」がそのときの学会の議題に応えて発表したものです。非常に短期間でまとめ、また私の研究室は群馬で、高いビルの上の方にあるので震度5弱くらいで本棚が倒れてしまって資料が取り出せなくて、このペーパーを書く時にはあまり高橋亀吉についてはそんなに調べられませんでした。今回この講演のお話を頂いたとき、早稲田大学にも出講していますので、こちらの図書館も使いながら高橋亀吉の関東大震災時期の発言や活動などについてもこれを機会にこの論文とは別にお話できればと思って準備してきました。

高橋亀吉は、皆さんご存じのように今年生誕百二十周年です。東洋経済新報社も高橋亀吉についてのシンポジウムの企画や、去年から復刊事業をしています。例えば『高橋経済理論形成の60年』も東洋経済から復刊されます。早稲田大学政治経済学術院教授の若田部昌澄さんが復刊のあとがきを書いていて、「高橋亀吉という謎と魅力」という題名がついていました。まさにこれは僕もずっと思っていることで、高橋亀吉というのは経済思想や経済学の歴史のなかで大きな謎なんです。

どうして謎かというと、高橋亀吉自身は昭和恐慌のときに石橋湛山などと一緒に当時のデフレ不況を脱却して、いわゆる緩やかなインフレに持っていくこと(当時の言葉でリフレーションとはインフレに持っていくこと)を石橋湛山らとともに唱えたグループです。これは非常に少数でした。高橋亀吉自身はどういった思想的バックボーンでそういった主張をしていたかというと、通常の経済学で石橋湛山はリフレーション理論を唱えたのですが、高橋は通常の経済学に加えて当時彼が影響を受けた社会主義者のブハーリンの経済学の影響をうけたことや、彼自身が左翼運動家だったという側面もあり、非常にマルクス主義的な色彩が強い思想の影響を受けていました。

?●構造的要因と循環的要因

つまり、普通の経済学、市場の機能を重視するような経済学と社会主義経済学の間で高橋亀吉の発言は絶えず揺れ動くことになります。例えば、構造的な問題というのは、例えば制度的な拘束(政府の不適切な規制や国営企業のウエートが大きくて民間企業が圧迫されることなど)を要因として起こる事象です。循環的要因は景気変動でもたらされる事象です。この二つにわけで経済分析は行うべきです。それぞれに起因する問題があり、構造的な問題は、日本だと政治的な文脈でよく言われていましたが、構造改革や制度改革で対応すべきです。循環的問題は景気対策で対応すべきものです。

高橋亀吉の言葉でそれを表現すると、(資料1、2枚目参照)彼は絶えずものごとを実践的に見よう、という見地に立っており、彼は一貫して、経済学というのは学者の学問ではなくて、むしろ、お医者さんであるという立場から絶えず実践的な姿勢を強調していました。実践的な視点の基本は構造的要因と循環的要因を区分けしようというものです(資料3ページ、下から9行目参照)。彼の言葉で言うと、構造的要因は経済の変化、循環的要因は変態にわけて物事を判断するのが重要であるとしました。例えば景気が悪い時は政府が経済対策、いわゆる財政政策や金融政策を行います。変化というのは、これは構造的な変化で、そうした変化を妨げてはいけない、妨げるものがあればそれを除去する、つまり政府の規制緩和が首相の動きを止めているときはそういった規制を撤廃した方がよいとする姿勢もあるのです。

そういった場合では高橋の主張は市場主義的なものです。ところが一方では構造的問題は市場に任せているだけではだめであるという主張もあります。特にこれは関東大震災時期、もしくは近衛内閣が発足する前に昭和研究会というのがあり、そこでの彼の立場に非常に顕著なのですが、政府がうまく市場を設計していく、市場に任せるのでも政府が中心でもなく、市場をうまい具合に政府が設定していかなければならない、としています。

企業は利潤を第一の目的にするのではなくて社会的な公益に供しなければいけないということ、または望ましい経済的な経済圏の設計、当時の言葉では大東亜共栄圏に対しても高橋は熱い思いを語るわけです。つまり、構造的要因に対する見方がある種2つに分かれているところが彼の発言を非常に複雑なものにしています。さらに変態の問題、景気の問題なのか否かという3つの変態と変化の市場主義的な見方と市場設計主義的な見方の3つの見方が高橋の本のなか、もしくは論文のなかには渾然一体となって存在しています。そのために高橋亀吉の本をいたずらに読んでいると、全て矛盾が多いととらえてしまう見方もあります。非常に解釈としては難しいために高橋亀吉を相対的に扱った研究はなかなか今でも先に進んでいません。商学部の鳥羽先生が『生涯現役 ?エコノミスト高橋亀吉』という評伝をお書きになりました。

高橋亀吉というのは、依然として学者の間では謎として君臨しているのですが、キーポイントはやはり経済の動きをどのように掴むかです。その大きなところは構造的問題と循環的要因をしっかり区別して割当なければならないということで、政策の割当問題が重要です。つまり構造的要因に財政金融政策を割り振っても役に立たないし、事態を悪化させます。循環的問題に構造的規制緩和など民営化を割り振っても何の意味もありません。昔、構造改革なくして景気回復なし、と言って政権を取った人がいましたが、まさにそういうのは高橋亀吉的には間違いです。

?●関東大震災以降の経済への視点

では、彼はこの2つの立場を関東大震災のときにどのように当時の状況にあてはめていったのか。関東大震災は1923年(大正12年)9月1日に発生しましたが、当時彼は東洋経済に勤めていて、社内的にも重要な位置にいました。ちなみに彼は翌年、石橋湛山の後を継いで編集長になります。それからまた、同時に当時彼がさまざまな雑誌で書いていた論文を集めた評論集であるとか、彼のデビュー作となった『経済学の実際知識』を大正13年の4月に発行しています。また、『日本資本主義経済の研究』というさまざまな雑誌に寄稿したものをまとめた論文集を出しています。この二つの本に関東大震災のときに彼が経済をどのように見ていたかが集約的におさめられています。

彼はプラクティカルにものを考えます。石橋湛山もプラグマティズムの影響を受けているのですが、そういったところで高橋と石橋湛山はお互いに共感していました。ただいたずらに純粋理論をそのまま経済現象にあてはめるのではなく、彼の言い方によると日本的な文脈に合わせて経済学を応用しなければいけない、としています。それは臨床医師と同じで、二、三年経ったら純粋理論は軽くマスターできるが、臨床医は10年必要である、ということです。

僕が初めて理論の本を書いたのは2001年『構造改革論の誤解』という本で、もう十年はすぎましたから高橋亀吉的には大丈夫です(笑)。確かに、やはり日本の今の経済についても自分で何かある程度見通しを持って言えるようになるには十年くらい必要ですね。自分でも十年前に比べると相当すれてきたかな、と思います。まして高橋亀吉先生は活動時期が半世紀以上に及んでいて、その後期に会った方によると、一種の経済学のモンスターであるというくらいの人物だということは間違いないということです。

先ほど言った『日本資本主義経済の研究』は、当時の『改造』などの総合雑誌から集めたものです。皆さんが利用しやすいのは『経済学の実際知識』の方だと思いますが、そこでは関東大震災については体系的には触れられていなくて、私も最初に読んだときには読み落としてしまいました。『日本資本主義経済の研究』の方がどちらかというと関東大震災のときの彼の立場を非常に集約的に表現していて、現在の東日本大震災以降の経済論争にも非常に大きな影響を及ぼすと思います。

『日本資本主義経済の研究』はだいたい大きく5つに分かれています。彼の考え方を表して面白いので紹介します。第一篇が「日本資本主義経済の一般的研究」、第二篇が「農業問題の一般経済的研究」、第三篇が「日本政治問題の経済的批判」、第四篇が「日本の代表的産業の研究」、第五篇が「一般資本主義経済の研究」です。そこにあるのは資本主義経済論といって、これはかなり当時としてはドイツの経済学の影響、またはマルクス経済学の影響を合わせてかなり色濃く受けています。さらに政治問題と農業問題に大きく関心がいっています。今もそうですが、戦前の農業問題もいかに衰退産業をどうにかするかが課題で、農業問題は今よりも戦前のほうが大きなウエートを占めていました。さらに、資本主義経済も日本の場合は深刻であると彼は言っています。その一番の核は、今と似ているのですが、人口問題です。

ただし、当時の人口問題は人口増加問題です。だいたい日本の人口は当時9千万人いくかいかないかです。当時の人たちは、日本の人口が一億人あると、日本はその負担に耐えられないと考えました。政府も財政負担が大きくなって耐えられないから、だから海外進出を進めなければならないという考えです。別に軍事政策というわけではなく、移民政策で当時日本だった朝鮮半島とか台湾とかそういったところに住む、または中国東北部の開発を進めるということでした。そういったことで人によってはその裏付けとして軍事進出を肯定化した人たちもいました。そのような人口問題が非常に大きなウエートをもって関東大震災前後に強調されていました。

人口問題は財政問題とリンクしているところが注意点です。今もそうです。今は人口減少問題が財政問題と一緒に語られています。ある種そういったものが当時も今も経済問題の大きい背景としてあったということを指摘したいと思います。

あとひとつは政治問題です。当時は政党政治の混乱期でした。今も菅首相をめぐって不信任案の提出以降どうなっているかわからないような状況で日本の政治はかなり混乱しています。当時もかなりのもので、政治の闘争が原因ではないですが、関東大震災の直前に当時の首相が死んでしまいます。新しい内閣ができたのが関東大震災の翌日なので、それだけでももう立ち上げがヒーヒー言っていますよね。しかも一年経たないうちに虎ノ門事件が起こって当時の内閣は瓦解してしまいます。今もよく言われている後藤新平の復興院も、虎ノ門事件をきっかけに山本内閣が瓦解してしまったことで事実上解体されてしまいます。結局、役所の一つの部局みたいになってしまって復興政策は急激に縮小していきます。つまり、かなりの政党政治の混乱期です。軍の介入も大きくクローズアップされていく、政治の混迷期でした。こういった時期に関東大震災が起こりました。

このあたりのことは資料2、4~5ページに該当します。当時の物価指標(資料2、2ページ)も載せてあります。また、GDPデフレータというものもあります。これもある意味消費者物価指数と並ぶ一般物価の変動を表すものなのですが、これを見てみると、関東大震災が起こる前から当時はデフレです。結局このデフレは非常に長く続いて、十年以上に及びます。その一番のピークは昭和恐慌と言われる時代ですが、関東大震災以前もデフレでした。このデフレはある種、当時の政策当事者が意図的に起こしていました。そもそも日本経済が先進国経済に仲間入りしたのは日露戦争以降です。さらに具体的に言うと第一次世界大戦でさらに加速がつくわけです。第一次世界大戦に本格的に日本が参戦していなかったことと当時の連合国に対する輸出国として機能していたことによって日本の企業社会が勃興していきます。

ここで、高橋亀吉と僕は解釈がちがうのですが、彼は第一次世界大戦前の日本経済は非常に低迷していて、十分発達していなかった、としています。特に日清戦争や日露戦争で戦費調達のために外債を発行していて、借金の返済でヒーヒー言っていた、と言います。ところが、高橋自身は書いていませんが、実はこれには理由があります。

?●金本位制復帰反対の姿勢

第一次大戦前、日本は金本位制に加わっていました。これは一種の固定為替レート制です。一定の金と自国通貨が一定の比率で兌換されているということです。今で言うと、どんな銀行に一万円持って行っても、一定量の金と交換してくれるということで、各国通貨が金と結び付くことによってそれぞれ交換可能だという制度です。金本位制度に参加していたため、為替レートの安定を求めてしまうと、経済というのは名目成長率、つまり実質成長率+インフレ率、のインフレ率がかなり抑え込まれてしまいます。国内経済が過熱すると為替レートの安定化機能が働いてしまって一定以上の名目成長率が上昇しなくなります。そうなるとどうなるかというと、国債の返済が難しくなってしまいます。名目成長率と国債の返却利子率のバランスの問題です。名目成長率のほうが支払金利よりも高ければうまくいきます。ちなみに今の日本は逆転していて、ご存じのとおり苦しい状態です。

当時、第一次世界大戦前の日本も金本位制に入っていたため、一定程度加熱すると為替レートを安定させようと、つまり円安に振れていくわけです。一定に戻すために自動的に自動的な調整機構が働いて引き締めが起こります。そのため、結局国債の利回りよりも名目成長率が下回ってしまう状態でした。いずれにしろ第一次世界大戦前は金本位制がかなり自動調整機能として作用していました。

第一次世界大戦中は金本位制に加わっていた先進国はドイツ側と連合国側に分かれてしまいますので、金本位制から離脱してしまいます。日本も当然離脱しました。これが結果的に影響を及ぼします。上限、つまりストッパーが決まっているので、経済はいわゆる戦時好況の名のもとに非常に膨張し始めます。今まで十分に使われていなかったような資源、つまり簡単に言うと労働者または都市の様々な新しい産業に対する投資も活発になっていきます。

そういった状況で第一次世界大戦以降、本格的に日本経済はテイクオフしたと、つまり大きな変化を起こしたと、これは高橋亀吉も言っていることです。つまり金本位制度の世界は古い世界になってしまったということを彼は言います。これは覚えておいてほしいのですが、のちに彼は昔の水準で戻ることに強行に反対しています。それはなぜかというと、すでに日本経済は本格的にテイクオフしてしまったので、昔の金本位制に戻ることは変化を押しとどめる方向であるとして彼は反対するのです。

ただ当時の政策担当者は(日本銀行も大蔵省も政府も含めて)第一次世界大戦が終わってからは、ともかく金本位制に復帰したかった。なぜ金本位制に復帰したかったかと言うと、まず、第一次世界大戦前はまずまずうまくいっていたではないか、という人もいる。これが本当かどうかはかなり疑問なのですが。もう一つはこれの方が本当だと思うのですが、先進国クラブの仲間入りの担保なのです。つまり、「金本位制に戻ります」と言うと、今風の言葉で言えば「グローバルスタンダードに加わりますよ」というのと同じなのです。国際的な通行手形だと当時の政策当事者はみんな思うわけです。後に金本位制から離脱する高橋是清自身もそういった考え方を支持しています。つまり、金本位制に皆、戻ろうという機運が世界中に高まってくるわけです。

ところが、戦争中にどういったことが起こったかというと、戦争に加わっていた国は戦費調達のために貨幣を大量に発行しました。そういった意味でインフレ気味になっていた。金本位制に加わっていた戦争前に比べて明らかに自国通貨安に振れています。日本も戦争には加わっていませんでしたが、経済が活発化しているので当然、戦争前に比べると先ほど言ったように円安なわけです。先進国は第一次世界大戦前に比べると全面通貨安なのです。これを各国ともに戦前並みの為替レートに戻すためには、どの国も猛烈な緊縮政策をしなくてはいけません。つまりデフレ政策をとらなくてはいけないのです。財政は緊縮、金融政策も緊縮、引き締めをとらなくてはいけない。各国がデフレ競争を始めるわけですね。

そのデフレ競争を今の経済学者が何と言うかというと、「金本位制の足かせ」と呼んでいます。簡単に言うと、先進各国のデフレ競争です。こういったものが各国の長期停滞、第一次世界大戦から特に世界恐慌でピークを迎えた各国の長期停滞の大きな主因になる。すべての国が長期停滞に直面していたわけではありません。アメリカや日本、日本の1920年ぐらいは大正バブルと言われる時代でしたから。グラデーションはありますが、基本的にはこの時期、各先進経済は持てる実力以下の水準で抑えつけられていたというのが最近の見解です。

こういった金本位制の足かせ、デフレ競争が各国政策の国際クラブ加盟の証文みたいになっていた時期。日本の関東大震災以前も、先ほど言った「人口問題をどうするのか」と「金本位制復帰問題をどうするのか」がだいたい経済問題の大きいトピックスでした。今と似ていませんか。今も人口問題による財政危機がまず一つある。そしてもう一つは、やはりデフレ不況、特に日本の場合はリーマンショック以降、かなり進行しています。それと全く同じ文脈で、戦前も関東大震災を迎えているのです。

?●関東大震災からの復興

関東大震災自身、これは非常に大きいショックをもたらしました。日本の近代の中の最大の自然災害ですね。東日本大震災もかなりなものですが。関東大震災の時、一橋大学もかなり被災したし、東京大学も被災しました。早稲田大学はあまり被災しなかったのでしょうか。よくわかりませんが。非常に経済全体も落ち込みます。どのくらい落ち込んだのかと言うと実は、あまりわからないのです。当時、そんなに災害調査というのが一般的ではありませんでした。今の一橋大学、当時の東京商科大学の福田徳三という人が学生のボランティアを大々的に、当時文部省から現金なんてもらっていませんから、自分のお金で学生を何百人も集めて、上野公園に集まっている人たちとか、東京の各地域に集まっているバラックをそれぞれ学生にアンケート用紙を持たせて全部自前で調査しました。それが一番包括的な調査として残っています。

それによると、東京市のだいたい四分の一くらいの人々が震災によって生活的な困窮にあるというような調査を彼は出しています。そういった調査はないけれど、例えば後藤新平あたりは超能力で震災復興の予算計上をするのです。当時の国家予算の二倍ですね。それはどんどん縮小されていきますけれども。つまり何のベースもないところで、後藤新平はある種超能力で復興対策を出すのです。

余談ですが、結局、今もそれで良いと思います。災害の規模がどのぐらいかって、今わかりますか。例えば内閣府は震災が起きて半月くらいで、だいたい推計災害額が二十兆円になると出しています。でも、震災発生から半月くらいって何があったかというと、まだ原発なんてどうなるかわからなかった時期ですよね。今もわかりませんが。はっきり言って日本は本当に大丈夫かなという時期ですよね。そこで二十兆円なんて出されても、僕なんか「えっ」って思ってしまいますね。

地震に限れば、地震と原発問題って事実上、区別できないじゃないですか。例えば、みんな募金しますよね。あのときいちいち地震向けと原発向けと分けて募金していないですよね。一緒に入れていますよね。分けて考えると全然意味がありませんが、分けて考えてしまうわけですね。その方がたぶん被害総計額が少なくて済み、政府の持ち出すお金も少なく済むからですね。あまりにも早すぎますけど、当時のことを新平はわからないから、かなり過大評価をして予算を計上するわけですね。僕はそれで良いのではないかなと思っているのですが、そんなことを言うと「田中はいい加減だ」とよく言われるのでほどほどにしているわけです。

いずれにせよ震災は非常に大きい影響を与えて、デフレもかなり深化したかというとそれほど大きく振れてはいないのですが、いずれにせよ膨大な損害がでて、それをどのように復旧、復興していくか。そのためにはお金がないとどうしようもないのは今も昔も同じです。資金調達を一体どうするか、それがやはり当時も大きな話題になっていました。高橋は、日本資本主義経済の研究としての「震災復興対策としての資本主義」という論文の中で、どう復興対策のための資金調達をすべきか、だいたい大きく分けて三つの手法を出しているわけです。一番目は、財政をとにかく緊縮しろ。無駄遣いをやめて、その無駄遣いをしていた部分を復興対策に割り当てる。今だと休日千円にしていた分ですとか、子ども手当の分だとか、あと年金のために積み立てておいた基金を取り崩すとかそういったことです。

今言ったような、当時も公務員の給料を削るというのが一番大きな手段なのですが、それとは違ったことを言う人もいます。それは国債を発行しろということで、特に外国からお金を借りるということです。国債を発行しても、日本の企業の人たち、特に銀行は国債を買ってくれないので外国に買ってもらおうかという案です。これが二番目の手段です。実際に政府が取った政策はこの二番目の政策です。

三番目は、強制的節約という言い方を彼らはしていまして、これが重要なのですが、増税と紙幣の発行です。

?●小国主義と軍備縮小

高橋亀吉が一番やりたかったのは軍備縮小です。彼は小国主義でした。僕は素晴らしい思想だと思います。石橋湛山もそうですが、早稲田大学の経済学者は小国主義の伝統に立っている人が結構いるので素晴らしいです。天野為之も東洋経済の人で、早稲田大学の政治経済学部の基礎を作った人です。ただ、早稲田大学と天野家は仲が悪くて、長く無視されていましたが。あと、三浦 銕太郎もですね。

彼らは小国主義とは何かと言っているかというと、日本は例えば朝鮮とか台湾、樺太、中国東北部の海外進出や植民地経営で儲けるよりも、むしろそういったところを放棄して、海外との外交関係を良くして貿易に努めた方が儲かると言っています。これは、儲かるか儲からないかが重要だということです。

イデオロギーで日本は植民地を放棄して外国と仲良くした方がいいと言っているわけではなくて、儲かるからいい、と言っているんです。それを石橋湛山などは計算しています。植民地経営は実は朝鮮も台湾もかなり日本が持ち出しをしています。それで得るものは農産物だけです。比較優位からいうと当たり前ですが、日本人の多くはどちらかというと朝鮮半島や台湾で新しい産業を起こすという幻想を抱いて行ったのです。

ところが、安い労働力を使って一番手っ取り早くできるのは農産物なので、農産物を輸入するという話になります。目論見が外れてしまったのです。しかも、教育システムも社会資本も不十分だから、日本の税金をどんどん投入していきます。だから、簡単に言うと割が良くないわけです。また、植民地を運営していることでアメリカやヨーロッパとの外交的な圧力を感じています。それも大きなコストです。

そういったものを排除してしまってありていに言えば、江戸が終わるときに持っていた領土くらいでも、貿易をやれば十分だということです。対外拡張派の大国主義者は人口問題をすぐに持ち出しますが、石橋湛山や高橋亀吉は、それは全然問題ではなく、自由貿易をやっておけば、日本は今よりもよほど多くの人口を賄えると言います。

石橋湛山は終戦のときに結構前向きです。ポツダム宣言を受諾して植民地を放棄して、海外に行った人たちが皆日本に帰ってくるので人口が増える。一方では戦争で国土は崩壊してしまったと。これは一見すると悲観的になりやすい。日本はこれから、敗戦によって対外的な政治圧力がなくなった。さらに、従来私が主張していたように、これから貿易を中心にすれば日本経済は海外から帰って来た人口をゆうに養えるほどの潜在能力を持っているということを彼は終戦後すぐに言うわけです。

当然、そういった小国主義に高橋亀吉も立っていて、この考えだと財政緊縮の一番のターゲットは軍備縮小です。ところが、彼らと違う増税派という人たちは公務員の給料削減を言う程度でした。今でいうと事業仕分けのような、たかだかいまの金額で一兆円いかないくらいの削れるところだけを削っているような財政緊縮と、本格的な財政緊縮というのが対立していた。大国主義で増税というのはほとんどあるかなしかの財政緊縮で、軍備縮小は絶対言いません。小国主義の方は財政緊縮も言いますが、目的としてもろに軍備縮小にこだわる。この対立なのです。これを頭に入れておいてください。

二番目の公債発行、つまり外債でお金を調達することにも高橋は非常に反対します。どうしてかというと、さきほど、僕の解釈とは違って、第一次世界大戦前に海外から戦費調達で外債を発行して、お金を借りているんですね。その借金返済でヒーヒーいったことが高橋の頭の中にはあるわけです。またこれをやるのかと。また日本に大きな負担をもたらすことになるので、ちょっと乗れないな、と。結局彼は、三番目に注目することになります。

強制的に市場からお金を調達する方法は二つあります。一つは増税で、もう一つは紙幣の発行です。紙幣の発行がなぜ強制的に徴収することになるのかというと、インフレ税というものがあります。政府の手段は二つあります。一つは、日本銀行に政府が発行した国債を直接引き受けてもらって、それでお金をもらってざまざまな公共事業に使うという手法です。もう一つは直接政府が紙幣を発行する、ということです。今でも記念通貨を発行したりしていますが、これを大々的にやろうという手法です。これは事実上インフレをもたらすので、人々の購買力は額面で減ります。実質購買力は減るのですが、実際の支出は増えます。

?●増税派と紙幣発行派

当時の関東大震災が終わった時、財政緊縮、プラス外債発行もやむなしという人と、それに増税派。特に増税派が大多数を占め、99%くらいですよ。こっちの紙幣の発行をとる派というのは、ほんの数名です。だいたい具体的に名前挙げると、石橋湛山と高橋亀吉と、神戸高商(今の神戸大学)の津村秀松という人と、あとは慶応大学の小泉信三。当時は、もうそこら辺のわずか数名の規模です。

それがだいたい昭和恐慌になってくるとだんだん増えてきます。財界とか金融家まで巻き込んできますが、この時は昭和恐慌までまだ数年ありますから、こういった紙幣発行で景気を良くしたり、資金調達をしたりするっていうのは極少数です。ほとんどカルト集団の扱いです(笑)。しかし高橋は毅然としてこの考えをとるわけです。さっきも言ったように、日銀に直接国債を引き受けさせる方を彼は勧めます。政府が直接紙幣を発行する方法もいいけれど、あまりにも露骨であると彼は表現しています。露骨だということは効果がてきめんに現れてしまう(笑)。だから、それは反対が強いだろうと彼はやめたのでしょう。

彼は結局紙幣の増発をもって、つまり日本銀行に直接国債を引き受けさせることによって資金を調達して、それを復興政策にあてるということが、彼が関東大震災の時に最も強調した政策です。増税について彼は非常に批判的です。彼の表現を借りると、「増税をしてしまうと一国の経済活動はますます鈍化せざるを得ない。国民の購買力がまず減少するから、不景気はさらに深刻化する」。簡単に言うと景気がさらに悪くなる、だから増税はとらない、ということです。それで、この紙幣の膨張政策というものを彼はとる。

さらにこの時、石橋湛山とある重要な決断をします。金本位制について一体どうするのか、実はあやふやでした。そこで初めて石橋湛山と共に、少なくとも旧来の金本位制度に戻る政策はもうとらないと言います。どうしてかというと、それによる損失は非常に大きく、経済成長の低下は著しく、さらに、失業が深刻化してしまう。また、関東大震災の直後ですから復興も遅れてしまう。そうしたさまざまな条件から金本位制に復帰する、少なくとも旧平価、つまり第一次大戦前に成立していた固定為替レート制に戻ることはできない、ということを高橋亀吉が石橋湛山に提案して二人はその思いを強くします。

それ以降、とりあえず本音を言えば、実は金本位制に戻ること自体がおそらくそれほど気乗りしないけれど、ただ、その当時はやはり、金本制に戻ることはつまり国際グループに戻るということで、石橋湛山も高橋亀吉もそこまではまだ否定できませんでした。だから今成立している新平価の水準で金本位制をとる。それはデフレをもたらさない、むしろ経済の緩やかなデフレ状態と併存可能な状況、つまり一定の名目経済成長率を保てるような状況であるので、そこで戻ろうということを目指します。

これ以降、旧平価回帰を主張する派と新平価を主張する派での間で論争が激化していきます。それが昭和恐慌でピークを迎えます。それのいわゆる助走期間だったわけです。その重要な契機となったのが関東大震災だったというわけです。

●東日本大震災と政治

 足早に話してしまいました。昨日テレビに勝間和代さんが出ていたのですが、彼女のビジネスパートナーは上念司さんという人です。とても信頼できる僕には盟友といえる人物です。実際に、東日本大震災が起こった3月11日、僕は勝間和代さんや上念司さんらデフレ脱却国民会議のメンバーと一緒に国会で午前中議員会館をまわっていました。議員の方々は、渡辺喜美さんとか中川秀直さんといった大物をはじめ、あと民主党の財務金融委員長とかいていただけました。各政党横断で人材を集めて画期的なことだったと思います。非常に反応がよくて、共産党以外は(笑)。それで記者会見まで行ったのですが、家に帰ってきたら大震災で僕たちがやった記者会見全て吹っ飛びました。

それでですね、実は、日本銀行とか財務省に対する政策批判は僕も十年以上やっていて、だんだん疲れてきて、でも去年も朝日新聞から出ている『デフレ不況』という本を書いたのですが、ある程度本はもういいかな、と思っています。むしろ政治家の人たちの方に実際に会って話した方がいいに違いないと思ったのですね。もう一般向けはいいだろうと思いました。若い人たちも結構出てきましたし。

この震災を受けて、上念さんと一緒に本を書くということになりまして。『震災恐慌』とすごい名前がついちゃったのですが、この題名には反対しました。まあ、そういう本を出すことになりまして。この本の中にも、高橋亀吉が当時問題視していたデフレ政策、こういったものはむしろ復興を遅らせる、というようなことを中心に書いています。特に阪神淡路復興も今と全く同じですから。阪神淡路の時も復興政策で一年くらい上向きます。ところが、すぐ消費税増税とアジア経済危機でいきなり経済が下降すると、それ以前は復興事業で実はある程度高まった兵庫県の経済成長率が、本格的回復はしてなかったために、いきなり全国平均よりはるかに低い水準に落ち込んでしまった。それで結局いまだに全国平均より低い水準で推移しています。

つまり何が言いたいかというと、復興対策と言うのはかなり持続的に行わないと、なかなかその復興地域は回復できないし、それを支えるためには他の経済地域がやはり逞しく一定の成長率を確保していないと、復興自体が追い付かない、ということが阪神淡路から経験則で関東大震災についても言えるでしょう。いろいろと話も脱線しましたが、これがみなさんにお伝えしたかったことです。どうもありがとうございました。

?■質疑応答

○質問者

 昭和50年にこの経済学会を卒業したものなのですが、一点、先ほど先生のお話の中に、デフレの時代にあって企業は利益ではなく福利厚生などの公益的な事業をやるというお話があったと思いますが、そのことについてもう少しお話を伺いたいのですが。

○田中先生

 昭和恐慌、いわゆる昭和研究会のときの話ですね。昭和研究会の時、高橋亀吉は、例えば笠信太郎であるとか何人かの経済学者と一緒に近衛内閣の政策ブレーンとなって、今のところでいうと第三の主義みたいなものを目指すわけですよね。つまり資本主義経済でもなければ社会主義経済でもない。政府は市場をデザインしていく。そのデザインの仕方というのは、企業が利潤を追求するのではなくて、公益を追求するようなかたちで配当や利益追求の在り方を見直していく。こういったプランといったものを笠信太郎たちとともに定義していく。そういった話です。

○質問者

 お話ありがとうございます。金融緩和のところで陳情にまわられたということなのですけれども、実際いろいろな議論があって、先生はもちろん賛成する立場ではないと思うんですけれども、お話を聞いていて疑問に思ったというか、側聞で調べていないのでなんですけれども、例えば、リーマンショックの後に緩和を他国はやっていたのに日本はあまりやらなかったということで批判がでてたと思うんですけど。それについて意見を少し詳しい人に聞いたんですけど、日本はバランスシートがもうバブルの時に伸びているのではないか。日銀のバランスシートが伸びているということを聞いたのですけど、それでまた今回、金融緩和をしてさらに伸びきった状態で伸ばすのではないかなというような議論を聞いたのですけど、それについて何かご見解はありますでしょうか。

○田中先生

 まったくこの日本銀行が催眠術にかかってしまっていて、残念なのですけど、要するに、今おっしゃたことは日本銀行のバランスシートの大きさが例えばアメリカが5ぐらいだとしたら、日本は既に10の段階でリーマンショックを迎えていたということですよね。だから充分に金融緩和をしているということです。ちなみに言っておきますけど、日本銀行はリーマンショック前にやっていたとすれば、当然安定的なインフレ状況ですけど、それも満たしていないのですね。

それと後、経済というのは変化率で考えなければいけません。例えばこういう話ですよね。岩石がガーット落っこちてくる。それでアメリカはやせていて、あまり筋肉がないのです。だけど飛び移りました。日本は筋肉隆々で、岩石と向かって押しつぶされました。そういう話なのですよね。多くのまともなエコノミストは変化率で見るのですけど、つまり経済は水準で見るのは素人なのですよ。何かとの比率でみなければいけないのですよね。変化率というのは時間に対する割合で、経済学者はこれで見なければいけない。

高橋亀吉もそうです。変化変態は変化率の問題であり種類の違いである。日銀のそれにだまされてしまう話というのは、こういった経済学以前の話で考えているのですね。だから当然そういった催眠術にかかってしまう政治家の方も多いのですけど、素人をだましているんですよね。高橋亀吉もそうであるし、すべての経済学者は変化の割合で考えていますから、それに尽きます。

危機に対してどう動くかとういうことが重要であって、もう既にしているので何もしませんというのは、子どもだましとしても常識を考えるとおかしい。しかも、どうでしたか。日本経済。リーマンショック以前。ぼくは全然そう思いませんでした。つまり日本人というのは今回の震災を調べてみて驚いたのですけど、関東大震災の時や阪神淡路大震災の時も、だいたい日本人がメディアで話題にするのは四ヶ月ですよ。つまりそれ以降になるとばったり話題が廃れてしまう。関東大震災はものの見事だった。今回も僕は懸念しているのですが、つい2週間くらい前、明治大学のほうでシンポジウムに参加したのですけど、シンポジウムが企画されたときは、復興政策で聴衆がいっぱいいたんですけど。ところがふたを開けてみると、財政危機の問題となると、ネームバリューでいうと財政危機を話している人たちは、僕たちより若干上かなと思うのですが、聴衆が半減しちゃったんですよ。つまり復興政策に対する関心が急激に薄れているのですね。今いったように日本人というのはリーマンショック以前にどういうものだったか忘れていますよ。

震災以前の記憶さえもあやふやです。震災以降の悲惨な記憶というのも日本人は忘れつつあります。でも問題は何も解決していません。だから僕は復興政策のキーポイントは早めにやることだと思います。だけど今不幸にして早めにやっていませんよね。だからそれを非常に懸念していますね。早くやることが重要ですから。リーマンショック以前、日本銀行のバランスシートが、充分規模が大きかったことは、何の問題にもなりません。素人だましという話です。だけど往々にしてそれでだまされてしまう人が多いというので、国会に行って汗をかきたいと考えています、ありがとうございました。

以上

?(文責)稲門経済倶楽部事務局