大野更紗さんは、若手の論客として社会保障や労働問題などを中心にした発言で最近注目されている方です。特にご自身の自己免疫疾患系の難病の体験を書かれた『困ってるひと』(ポプラ社)はベストセラーになりました。僕が最初に大野さんの著作を読んだのは、SYNODOS JOURNAL(シノドス・ジャーナル)で掲載されていた「「存在しない」サバイバーたちーセックス・労働・暴力のボーダーで」の連載でした(全三回(第1回第2回第3回)。今回の座談もこの論説を中心に、大野さんの著作の内容を含めた様々な角度からの対談になりました。ただ基本的にまったり風味?で話が進行していくのは、この「ミュルダールを超えて」全体の通奏低音なのはいつもの通りです。

田中:はじめてお会いしたのは、荻上チキさんのイベントの時でしたね。

大野:はい。田中さんは、稲葉振一郎先生とも仲良しですよね。

田中:あー、「」つきの仲良しですね(笑)。面白い人です。稲葉さんとはお会いしたことがあるんでしょうか?

大野:まだ一度もお会いしたことはないんです。Twitterで『経済学という教養』(ちくま文庫)の感想をつぶやいたら反応して下さったんですね。いいひとだなあ~と思いました。稲葉さんの読書ブログは文系にとっては知的好奇心の迷路というか、あの「お買いもの」リストの濫読っぷりをみると、へーっと圧倒されます。

田中:まあ、僕も含めてネットに巣食ってる「不良中年」グループの一員ですから(笑)。確かに経済や社会問題について独自の見識をもつ刺激的な人なので、そのうちお会いするといいかもしれません。ところでシノドスで連載された「「存在しない」サバイバーたちーセックス・労働・暴力のボーダーで」は全三回(第1回第2回第3回)の連載、とても引き込まれました。

大野:ありがとうございます。

田中:シノドスにはあまり本格的な社会保障関連のルポが掲載されることがなかったのでその意味でも刺激をうけました。いまの若い世代の方の関心の方向が知れるという意味でも。また大野さんの『困ってるひと』も拝読しました。多くの方が言っていることだと思いますが、とても文章が巧くこれまた引き込まれました。ただこの本については、ほかにも多くの人たちと話されたことでしょうから、僕は主にシノドスの連載について今日はお話しをお伺いできればと思ってます。

大野:なかなかそちらの連載の方の話をしていただける方はいなかったので…。ありがとうございます。

田中:家庭内暴力というテーマには前から関心がありました。従来の経済学ですと、今回、大野さんがルポされた「婦人保護施設」などを支える社会政策的な発想とは異なる基盤にあるといっていいかと思います。例えば、通常の経済学と社会政策的な発想の違いを一言でいうと、価格か権力か、いずれに比重を置くかという違いだと理解しています。いわゆる「経済学」ですと、雇用市場での契約は、価格を通じての調整が中心です。価格調整を阻害する要因に、力関係が入ってきてもそれは副次的な要因といえるでしょう。社会政策はむしろこの副次的な要因である力関係(権力)が市場を考えるときの基準になります。連載の最後に、大野さんが指摘されている点、「貧困層の家庭に生まれ育ち、ボーダーラインの知的障害、精神疾患を抱えるサバイバーにとって、通常の就業へのハードルはきわめて高い。そのような環境下では、性産業は参入障壁が低い甘い誘惑である(略)たとえ、「契約」という名目があったとしても、雇う側と雇われる側の情報の非対称性、その売買春や性産業が「労働」として真っ当に成立していないことは容易に想像できる」と書かれてたり、また「圧倒的な支配の構造」という指摘もありますが、この認識は僕も同じです。なのでふつうの経済学とはちょっと僕の立場は違います。あとマクロ経済政策では、日本銀行の政策の失敗を問題視してます。

大野:いわゆる「リフレ派」ですね。

田中:そうです。また社会政策的な問題に関心があるのは、他にも個人的な事情があって、大野さんの言葉だと「サバイバー」だったんです、僕の母は。父親の家庭内暴力がひどく、母と一緒に家を飛び出して、泊まるところもなくホームレス小学生の経験もありました。

大野:ええ。そうだったんですか!

田中:ちょっとだけ説明しますと、僕の家はテレビドラマになった『華麗なる一族』みたいな資産を持っている家でした。あのドラマみたいに家の中に父親の愛人も一緒でした。それと暴力がとてもひどく、それで先ほどいったように母親はついに我慢できずに小学生四年生の僕をあたまに、四人の男の子(小学2年、1年、それに2歳児)をつれて家を衝動的に飛び出ました。母親の実家は山口県の田舎街で、彼女の実家は貧しく、金銭的な支援はできませんでした。身寄りが関東にはなく、それで駅の近くの公園だとか静岡だとかの遠縁の親戚の家をしばらく転々としました。やがて駒込にアパートをみつけて落ち着いたのですが、子供を四人もかかえ、満足な学歴や技能もなく、彼女はたぶんスナックかなんかで働くしかなかったんだと思います。で、二か月で母と僕たちは父親のもとにやむなく戻りました。これはますます家庭を殺伐としたものにしてしまいましたが。その後も父親の暴力や女性関係の乱行は続きました。最初の「敗戦」から2年後、彼女は今度は満を持して、またもや子供を連れてその暴力の園から脱出しました。最初の失敗にこりて、不動産業の資格をとって、母方の祖母が行商をしてまして、その仲間内でいわゆる頼母子講というのがありまして、そこからおカネを借りて準備を尽くして家を飛び出ました。ただし、最初のうちはとても貧しかったですね。そういった環境でしたので、大野さんの論説のテーマにはとても興味をひかれたわけです。

大野:いやあ、まさしく豪傑なお母様ですね。

田中:ただいつも父親に暴力をふるわれてましたので、幼い子供の目からすると、いつも泣いていてばかりいる人で、頼りなく思えてました。子供は薄情な一面を持っているので、「母と一緒に家をでてやっていけるのかな」と漠然とした不安はありましたね。ただ子供たちも当然、毎日のように暴力をふるわれてたので、家を出るとやはりほっとはしました。父親の暴力で一番鮮烈に覚えているのは、彼が日本刀で母の足をぶったぎったことですね。病院に搬送されました。母はそれから亡くなるまでずっと足を引きずって生きていました。

大野:壮絶ですね。本が一冊できるお話です。

田中:日本刀できられたときも警察沙汰にはならなかったのです。病院には事故として母は告げたといってましたね。暴力をあくまでも家庭の中で隠ぺいしたのです。それは母が子供たちのことを思ってしたのでしょう。いまは家庭内暴力が外部に顕在化していて、通報件数も多くなりましたよね。

大野:通報件数は確かに昔より多くなっていますが、様相は複雑化してますます一括りには捉えにくくなった印象があります。今回の婦人保護施設の論考に書いたようなケースは本当に氷山の一角です。
行政の窓口や「保護」までたどり着かない、インフォーマルな形での家庭内暴力の形態の可視化は、まだまだ時間をかけて取り組んでいかなければと思っています。倫理的な判断や、自律的な判断はできないけれども、家を出て食べていくのがあまりに大変なので生存するために戦略的な行為をするしかない。破綻していても逃げられない。ひたすら我慢し続ける。

田中:そうですね。暴力をふるわれてもそれに我慢してしまうという判断をしてしまうことは多いでしょうね。過剰適応ですね。

大野:暴力をふるわれるとき、「密室」に閉じ込められているわけですよね。不条理そのものだから、その世界から脱出しようと思ったら、誰かに相談をしたりいろんな施設に一時的に保護してもらうという選択肢はあるのですが、当事者にとってのハードルは非常に高い。やはり脱出するにはお金が必要なんですよ。

田中:そうなんだよね、お金が必要。

大野:絶対に必要ですよ。

田中:ぼくんちもさっき言ったように、一回目の脱出はお金がなくて敗退して家庭内暴力の巣にリターン。

大野:さっきのお金の話ですが、素人からみると、論壇で政策の議論に関与する経済学者と、学会で評価されているエスタブリッシュな経済学者の違いは、区別はつかないんです。例えば、飯田泰之さんも田中さんもわたしから見れば「リフレ派(そしてたぶん論壇系)」で、リアルな実質的経済成長を重視してますけど、運動系の人からすると細かい違いはよくわからない。とりあえず「ネオリベだ」とみなされてしまうらしいです。わたしの印象だと、リフレを唱える人たちは再分配や社会保障をやるにはお金がなければしょうがない。そのお金をふやすために経済成長をあきらめちゃいけない、と言っている人たちの総称というイメージ。でも運動系の人からみると「竹中平蔵」と論理的に何が違うんだ、という感じなのではないでしょうか。実際、竹中さんもリフレ的要素がありますしね。。

田中:うーん、たぶん福祉とか文化とかを切り捨てちゃう人にリフレ派も見えてしまう。

大野:そういう風にみえるんだろうなと。マスコミもごっちゃにしちゃうでしょう。

田中:まあ、効率性の悪魔みたいな印象なんだろうけど、僕も半分はそういうところはあるかな(笑)。

大野:でもそれはやっぱり経済学としては(笑)ある程度しょうがないんじゃないでしょうか。マクロとミクロはまた全然違いますし。わたしは経済学はほぼ素人で、大学のクラスで「ミクロ経済学の基礎」をとっただけなんです。アローやスティグリッツの論文を調べてレポート書いた程度です。NY Timesでクルーグマンが書いているコラムを解するくらいのレベルの話です。

田中:それはいい選球眼です。その組み合わせだと保険についての論文かな?

大野:そうです。アローの情報の非対称性論と、アメリカの公的医療保険必要論についてのスティグリッツの論文でした。

田中:スティグリッツはいいですよね。大野さんの『困ってるひと』にもあるけど、公的医療制度も硬直的で制度設計に失敗している。リフレ派は経済成長によって税収増で政府が使えるお金を増やそうとしているともいえる。社会全体のお金の余裕もできる。僕はミクロ的には効率性を半分以上捨てて(笑)、将来世代の負担を過大評価するよりも、今、現在困っている人を救う政策を支持したい。さっきの自分の家の歴史をふりかえっても。いま現在困っている母親を助けてくれた方が、将来の子供たちにとってもいいかもしれない。いや、きっとそう(笑)。

大野:善とか悪とかというよりもその場のベネフイットですよね。生活がよくなるという。

田中:いまの福祉をカットする方向というのは財務省主導で厚労省がのっかっているけれど、今いちばん困っている人、政治的な声は小さい人が、今思わぬ苦難に陥っていると思うんですよ。弱いところを政治や官僚たちが切るというのは社会政策的にはおかしいところですよね。まさに弱いところを保護するのが社会制度の本筋なのに、強いところを保護してしまっている。僕からみると今の日本は現在時点で困っている人をさらに過度に困らせてしまっている。経済規模を大きくしてお金のしばりをゆるめていく。これがリフレ政策の僕の考える中核でもあります。ところで大野さんはマンガ版の『風の谷のナウシカ』とか読んだことありますか?

大野:それはもう。永遠の古典です。

田中:あれ、最後にオーマが人類の「救済」の拠点である神殿をナウシカに言われて破壊してしまうでしょ。将来世代の救済というプログラムを否定して、たとえ将来99%以上破滅がまってても、いま現在の禍の根を断つことをナウシカは選んでる。あとのことはどーにかなるだろうと希望をつないでいく。

大野:そうですね。労働市場の話をちょっとさせてください。本当に末端の人たち、ドヤにいるおじちゃんや、超ブラックな貧困ビジネスに近い老人施設で働いている人たちと話をしていると、彼らこそ雇用の流動性というのを感覚的にうけいれている。政策や世論の反応は逆向きかもしれない。いま短期雇用、有期雇用の労働者の待遇改善をどうするかという問題が審議会でされていますが、正社員に近づけるというか、正社員という特権性に「下」を近づけていこうという方向性以外に、切るカードを持っていない気がします。それはよくわかるんです。雇用の流動性に不安感をもつのは、現在の枠組みに中途半端に恩恵を受けている人たち。たとえば、R合とか(笑)。日本の雇用調整がうまくいかない大きな要因のひとつは、大きな枠でとらえたとき労使関係に緊張感がなく、なあなあになっているところ。本当に困っている労働者の利害というのは、実は誰も守っていない。
再分配と雇用の流動性は、セットで話さないとうまくいかないと思うんです。。かつて企業が担保してくれた終身雇用や企業福祉は名実ともに瓦解している。これをふたたび、というのは無理な話です、素人目で考えても。企業も体力がなくなっていますから、もはや企業福祉にかかるコストを維持できない。よって、ますます人を雇わなくなる。福祉は公的な部分でカバーしなければいけないと思うんですが、いまはとても中途半端ですよね。

田中:いまは流動化が歪んでいて劣悪な環境でも我慢してしまう。

大野:我慢してますよね。すっごくいま悩ましいと思っているのは、ハローワークが就業支援ってするじゃないですか。でも全然、いまの雇用市場のニーズとあってない。ニーズとのマッチング以前に、雇用そのものが絶対的に足りない。大学も同じ問題に直面している。学生が一生懸命キャリアカウンセラーに相談するんだけども、そもそも職自体がない。

田中:そうだね。新卒市場はリーマンショック以降がたんと落ちてしまった。景気さえよくなれば新卒には働く場所はでてくると思う。

大野:そうですよね。

田中:ところで「婦人保護施設」や家庭内暴力に関心を示したのはどうして?

大野:難病病者とか障害者とか一般化して語られますが、そんなに簡単にくくれない。例えば、このルポに出てくる彼女たちにはプロセスがある。ひとりひとりが抱える精神疾患や知的障害に確実に大きな要因があって、なおかつそのほかにも多様な要因がある。じゃあ、その人たちのボーダーの障害の問題を福祉の手法で今解決できるかとういうと、現在の枠組みでは守りきれない。それこそ家庭内暴力もいろんな原因がある。でもひとつ大きく共通しているのは「貧困」ですよね。貧困というのは、本当に恐ろしいんです。貧困はさまざまな病理の原因です。お金がなくなるということは、ものすごく社会的に人を追い込むということだけは確信しているんです。

田中:それはまったくそうです。

大野:売春防止法関連の話をすると、行政からのしばりから逃げてゆく人も中にはいます。性産業に従事した経験がある場合、自分が今までしてきたことを悪いと責めてしまっている人もいます。「叱られる」「つかまる」という思いが強く、施設に行くぐらいならその日ぐらしをしていたほうが(でもそんなことできるわけもなく)いいと思いこんでしまっている。そして、そういうところにつけこんで超ブラックな裏の労働市場の生態系が形成されている。良質な雇用の場を拡大して選択肢を増やさないといけないと思っています。それと深刻だと思うのは、教育の問題です。バブルが崩壊して20年、一世代ができてしまった。90年生まれの若い人たちの話を聞いていると身につまされます。特に、大学生が大学に入って、1年生のときからの最大の悩みと関心が「就職」とだという。これほど不幸なことはない。

田中:年金の心配までしている。

大野:わたしは1984年生まれですが、大学の卒業時期は2008年ぐらいでしたが「まだどうにかなる」というかすかな望みはあった感じです。いまはもう、完全に立つ瀬がない。最近、古市憲寿くんと対談しました。彼の著書は『絶望の国の幸福な若者たち』というアクロバティックな題名のためか(笑)、あまりテキストとして行間を読まれずに「若い人はハッピー」だと誤解釈されている向きが強いんですが、そんなことを古市くんはたぶん書いてない。むしろ真逆です。ニコニコして、心を閉ざしている。もう話しすらしない。その術がないということですよ。これほど深刻なことはない。わたしは機会をつくって、自分より若い女子に会ってもらうようにしているのですが。彼女たちの親世代は主に40代後半から50代前半にかけて。いわばポスト団塊の世代の人たちですね。そういう親が子供に今、「この世の中の矛盾にともかく適応しなければいけない。勝ち残れ」としか言えないんですよね。子供に親が「就職しろ就職しろ」といってしまう。でも雇用がないからできないし、でもずっと努力しなくちゃいけないし、追い立てられる。家に帰っても、大学でも。古市くんとの対談(「絶望の国の困っている若者たち」『POSSE』13号)の中でも出てきますが、大学のキャリアカウンセラーの人は最後に「しょうがない。我慢するしかない」と言う。これを言われ続けると、根本的に「大人を信用する」「矛盾に向き合う」という経験をもてなくなってしまう。

田中:まあ、僕も大人は信用してなかったけど(笑)。大野さんの話は、就職指導教員としてはつらい話だよね。まさにリアルに日々経験していることで、僕もなんでこんなに「就職就職」と学生にいわなくちゃいけないのか、自問自答してます。就職しなくてもいいじゃないか、いろんな選択肢があるじゃないか、と言い切りたい反面、現実は新卒段階で職がないととてもそのあとに苦労が待ってて、それを克服するのはしんどいことも知っている。うーん、本当に難しい。やはりリフレ政策の重要性を僕としては強調するしかない。

大野:このルポに出ててくる婦人保護施設の施設長の女性は、ものすごいバイタリティと情熱、そして使命感で何十年と積み重ねて支援をしてきた。ですが、そういう現場もお金が足りない。しかも、その血と涙と汗の支援の蓄積を、ムダのカットみたいにマクロなボタンひとつでガーっと変えられてしまう。不信感の根はこのあたりにありますよね。福祉や社会保障側の人と、経済をやる人たちとがもっと話す必要があるんじゃないかと。

田中:制度というのは人を救済する面もあるけれども、『困ってるひと』にもあるようにモンスター的側面もある。お金の使い方でいえば、日本銀行はまさにモンスター。しかも日本銀行の人は「まじめ」に職務をやっていながら日本をおかしくし、お金を貧しくし、福祉をダメにしているところが怖いところ。本人たちはよかれと思っているのがモンスターの本質。これを変えるのは大変な作業です。

大野:ふつうの生活者側の人も、もっとリフレをいう人たちと交流し、理解し合う必要があると思うんです。

田中:そうですね、その努力は惜しむことはしないようにします。しかし、今日はまさかリフレの話をするとは思わなかったなあ(笑)。

2011年12月初旬 都内のカフェにて。

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「「存在しない」サバイバーたちーセックス・労働・暴力のボーダーで」(SYNODOS JOURNAL全三回(第1回第2回第3回)。

大野更紗著『困ってるひと』(ポプラ社)