オーム社の技術系専門誌『電気と工事』で淡々と続いている自分でもお気に入りの連載。第一回と二回はここ。今回はその第三回目。本誌の方はセンスのいいイラストと付きで、いま第四回目が掲載中!

 犯罪集団の海賊たちは、実はチームワークを守り、民族差別や男女差別もない平等を重んじる人たちだった。
 ところでほぼ毎日、やっている行為で、同じようにチームワークを重んじているものはなんだろう? そう今回のテーマであるトイレについてだ。特に話題の中心は、和式ではなく洋式トイレ。この和式と洋式の違いも実は非常に興味深い。でもとりあえずいまは洋式トイレに集中。一歩前へ。
 さてこの洋式トイレは、便器、便座、ふたの三層構造になっている。ファーストフードのお店だとか公共の乗り物(電車や飛行機など)では、まだまだ男女共用のトイレが多い。そこで発生するのが、トイレの便座問題。
 え? トイレの便座がなんで問題だって? もしそうお考えの紳士諸賢がいたら、1)無意識か常識かはわからないけど、きちんとその問題をクリアしているか、2)あるいは毎回問題を発生させているのに気が付かないか、のどちらかでしょう。
 たとえば、男性がトイレをおしっこで利用したとしよう。最近は座ってする男性が増えてるらしいけれど

も、いまだに世界標準は立ったまま、トイレのふたと便座をあけて、直接なさるのが一般的だ。そう、日本でもアメリカでもそして新興経済国のインドでも。ちなみに新興国の観光スポットにある公衆トイレはどこも立派だ。僕がみた世界で一番きれいなトイレは中国の天安門広場にある。そこはトイレの中にお土産屋さんまでついていた(お土産屋さんの中にトイレがあるのではなくその逆)。国家の威信をかけて作ったのかもしれないけど。

 インドでもグローバル化が進んだ結果、インドの経済学者の間でわりとホットな話題になったのがトイレの便座の上げ下げ問題だった。さきほど男性がおしっこをするときは、便座をあげてするのが一般的だと書いた。問題はここから発生する。では、その便座をどうするか? 男女共用のトイレの場合、あなたが、その便座をおろしておかないと女性の方々に非常に嫌な思いをさせているのをご存じだろうか?
 インドでもこのトイレの便座上げ下ろし問題は、経済学者たちの関心を引き付けるのに十分なほどの社会問題だったらしい。彼ら(なぜか議論しているのはみんな男性だ)が提起した問題は、「もっとも社会的に望ましいおしっこの後の便座の位置はなにか」というものだ。これをインドの経済学者たちは、男女の交渉ゲームとして考えた。もちろんいちいち、おしっこをした後に、男性がそのあとに使う女性陣に便座の上げ下げどれがいいですか、と聞くわけじゃないけど。
 例えば、こういうことだ。男性が先におしっこでトイレに入る。女性はその次。一回限りで、そのトイレを未来永劫使う可能性がない男性がする最適な便座の利用法はなにか? と経済学者は考えるわけ。この場合の答えは、「便座はあげたまま」だ。いちいち便座を下げるのはそれだけ時間と労力のムダで、その人にとっては非効率的だからだ。そう経済学者は考える。いわば、旅の恥(?)はかき捨てが最も男性にとって望ましい戦略だ。もちろんあとの女性陣は大迷惑。なので男女トータルの社会的な望ましさは、ささやかな男性陣の時間と労力の節約の前で、大きく損なわれていることになる。

 ところでもし一回限りではなく、そのトイレを使う人間が毎回、決まっているメンバーだったらどうだろうか? これをトイレの利用ゲームと考えれば、「繰り返しゲーム」と表現できるものだ。このときの答えは、男性は便座を毎回下げるのが望ましい、というものだった。
 なぜか? それは女性陣の「しっぺ返し」が怖いからだ。例えば家庭でも職場でも、同じメンバーが繰り返しトイレを利用する場合を考えよう。ある殿方がきまって便座を下げずに利用していることが判明したとすると、そのような行為はきっと家庭や職場での女性陣の反撃をうけるだろう、なのでそれを予測する男性陣はかならず便座を下げてからトイレを出てくる、というのがインド人の見出した経済学の命題だ。
 マナーを守ることは、他人のことを考えるという利他的な気持ちからでてくるのではない。むしろマナーを守ることは、自分への報復を恐れるという利己的な判断から生まれる。
というのがこのトイレ問題がいいたいことのすべてだ。これは海賊たちがチームワークを守り、差別をしないのは、自分たちの経済的利害(=金銭的インセンティブ)を重視しているからだ、という考えとまったく同じ。
 ただ「繰り返しゲーム」では、金銭的インセンティブをうまく利用すれば、トイレの便座を下げてくれるけど、旅の恥はかき捨てゲームの場合はどうなんだろうか。こちらの場合はさっき書いたように、やり逃げが当事者にとって最も望ましい(で、社会的には望ましくない)。
 やり逃げを防ぐ方法はなかなか難しい。一番有効な方法は、「恥」を利用するものだ。例えば、いま自爆テロを敢行するテロリストを考えよう。自爆テロというのは、いわば最大級の旅の恥はかき捨てゲームといえるだろう。ただし、このケースでは視点を転回することが必要だ。問題は、自爆テロをさせない、ではなく、自爆テロをさせるメカニズムに注目することだ。
 国際的な調査によると、自爆テロを行うインセンティブは、金銭的なもの(貧しいからテロを行う)や無知(テロリストの教育水準が低い)からではない。自爆テロを行った人たちが所属していた所得階層は高く、教育水準も高い。
 自爆テロを最後までなしとげたのは、テロリストに「恥」の感情があったからだ。いいかえると、自分たちの所属しているテロ組織への忠誠が大きく作用している。忠誠を裏切ることは、テロリストの「恥」の感情を大きくし、忠誠をまもることが「恥」の感情を小さくする。
 他人の生命を危険にさらす人が、実はもっとも他人のことを(自分の生命と引き換えになるほど)強烈に意識している、というのが自爆テロのメカニズムだ。これと同じことが、トイレの便座でもいえる。「恥」を重んじるならば、やはり旅の恥のかき捨ては起こらない。でもこの手法って、かなりえぐいやり口じゃない? 
 だからぼくらの心やさしい経済学者(インド人の経済学者も含む)はなるべく感情の問題ではなく、お金の問題ですまそうとする。そこで出てくるのが次回の話題―市場だ。