以下は一年ほど前に『調査情報』(TBS)に寄稿した原稿をもとにしたものです。AKB48のレコード大賞受賞を契機に、また新年の気楽な読み物として一部情報を刷新して転載しました。いまの自分の見解はもう少し先にいってますが(AKBのファンではなく、AKB通して経済をみるのが僕の立場、AKBの知識の多寡とか熱意を競うことには興味なし)、まあ、それはおいおいここで書いていきます。

オタクたちの磁場=アキハバラの変容
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 秋葉原(アキハバラ、アキバ)は、日本のポップカルチャーとサブカルチャーが交差し、その怪しげな魅力を多くの人が参照する磁力の中心地として機能してきた。特に20世紀の終わりから21世紀の最初の数年は特にその磁場は以上なほど拡大した。
秋葉原をアキバに、つまり旧来のパソコンや様々な電化製品などのパーツを売る街からサブカルチャーの消費基地に変化させたのは、オタクたちの旺盛な消費だった。
 そして小説『電車男』のヒットや映画化に象徴されるように、日本のサブカルチャーへの注目も重なることで、アキハバラは05年以降、急速に観光地化していく。三年ほど前に雑誌の取材で平日のアキハバラを調査したことがあったが、そのときに印象的だったのは日本人よりもむしろ海外からの観光客がフィギュアやコミック・同人誌などを買い漁る姿であった。
 土日は地方から出てくる人たちも含めて、家族連れや、若い男女のカップルの姿も多く、当時の歩行者天国は活況を呈していた。この観光地化は、建物の看板などのディスプレイへの自主規制(ロリコン的なものへの規制)が重なったことや、大手の紳士服メーカーや物販店、あるいはファミリー向けの外食チェーンなどの流入で、ますますオタクの純度の薄い観光地に傾斜していったといえる。また秋葉原の駅前を中心とした再開発も、秋葉原の姿をビジネス街風に変化させていった。浅い開発で生まれたダイビルや秋葉原UDXはその象徴である。
 この観光地化・ビジネス街化の傾向は、2年半ほど前に起きた秋葉原連続殺傷事件以降も変わらず続いた。昨年1月、歩行者天国が再開されたが、そこには以前にもまして「普通の」歩行者天国と大差ない光景が見られた。
 混雑はしていたがわりと大人しい歩行者たち、その多くは家族連れだ。若い男女のカップルも多い。コスプレを着た人も多いがいまでは別に秋葉原でなくとも見かける。それが厳しいと評価された歩行者天国への様々な規制の成果が一部あるにせよ、すでに秋葉原はオタクの街ではない。
例えば、いまの秋葉原は濃縮した新宿に似ている。いまの新宿というよりも70年代前半の新宿だ。当時の新宿は歌舞伎町や花園神社周辺、新宿三丁目などにアングラ文化の華が咲いていた。他方で大型デパートを中心とした目抜き通りは歩行者天国になり、いまの秋葉原と同じように家族連れなどでにぎわった。中央公園側には新しいオフィス街が誕生しつつあった。新宿は急速に大衆化していき、アングラ文化の伝統は次第に衰退していった。いまの秋葉原も似たような風景が進行しつつあるのかもしれない。
 この秋葉原の非オタク化の象徴が、秋葉原駅近くのドンキホーテにあるAKB48劇場である。ビルの外壁に飾られた彼女たちの巨大な看板は、この街の中でも特に印象的だ。AKB48は05年にこの地で劇場をオープンし公演を続けている。当初のファンはごく少数のコアなアイドルオタクたちだ。このアイドルオタクたちの関心を、AKB48の女性たちは、「会いにいけるアイドル」として根気よく、握手会や様々なイベントでつなぎとめた。このコアなアイドルオタクたちが支持することで、彼女たちの今日の国民的人気の下地が形成されていった。
 しかしいまはAKB48自体が、そのような「会いにいけるアイドル」とはいえない。競争率が100倍といわれる彼女たちの公演チケットの人気がその象徴である。コアなアイドルオタクたちは、例えばAKB48の正規メンバーではない研修生の応援に力をいれるなどスタンスを変化させている(そのチケットでさえ今は入手が難しいのだ)。他方で、AKB48の人気を大きく支えているのは、10代後半から20代の若い男性たちに変わった。この傾向は、最近調査にいったAKB48の姉妹グループである名古屋のSKE48のような後発組でも観察できる。私が2010年末に名古屋市栄にあるSKE48劇場にいったときに、8割以上が10代後半から20代の男性たちであった。
AKB48をコアなアイドルオタクたちが主導する時代は終わったのだろう。それは秋葉原が、オタクたちの街アキバから、再び普通の人たちが主導する街秋葉原として変化していく過程と重なっているようでもある。
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なぜ「会いにいけるアイドル」なのか?
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 ところでAKB48はなぜ「会いにいけるアイドル」なのだろうか? アイドルというのは手の届かないところにあることでその商品価値を高める存在だったのではないだろうか? AKB48をその代表とするいわゆる「ライブアイドル」といわれるグループアイドルたちは、ファンとの至近距離での交流を重視している。

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 たとえばAKB48が「会いにいけないアイドル」化していくことを巧みに利用しているグループアイドルももいろクローバーは、AKB48劇場の裏のUDXシアターでまさにAKB48劇場に入れない客を分捕るかのような握手会を企画し、周囲を驚かせた。六人組のももいろクローバーは、岡島紳士+岡田康弘『グループアイドル進化論』(マイコミ新書)によれば、「リーダーはレッドでサブリーダーはクールなブルー、6人6色のイメージカラーは戦隊ヒーローものの設定を連想させ、その活動は、日曜の朝の魔法少女ものや架空の番組「週末ヒロイン・ももいろクローバー』の一部を見ているような感覚にさせる」という、「アイドルというジャンルに限らず現代のオタク系ガジェットがこれでもかと詰め込まれている」(同書、165-7頁)キャラクター設定だ。 ちなみに最近のももクロは、早見あかりが脱退して、5人になり「ももいろクローバーZ」としてさらに求心力を増した。戦略的には多様化をさらに極め、戦隊もののイメージもネタとして維持しているが、すでにAKB48をとくに意識しないでも独自のキャラと市場への戦略手法を深めている。
 AKB48もももいろクローバーも、そして秋葉原で活動する多くのアイドルたちも、公演、ファンとのイベント、CDの手渡し販売などなどで、ライブ活動をきわめて重視する。彼女たちがライブアイドルといわれるゆえんである。アイドルが公演終了後に、バーに表れドリンクサービスなどをしてくれる秋葉原にあるディアステージなどはそのライブアイドルのひとつの究極の形ともいえる。
 このようなライブ中心のアイドル活動は、実は日本だけに顕著な現象とはいえない。文化の経済学やコンテンツ産業論の分野では早くから注目されてきたのが、音楽CDの売上低迷、デジタル配信の緩やかな成長と質的変容、そしてライブでの収益や副次的なプロダクツの売上への依存の傾向である。
津田大介と牧村憲一『未来型サバイバル音楽論』(中公ラクレ新書)では、日本ではゼロ年代になってこの音楽CDの販売低下とライブ収益への依存が加速したという。他方で、米国などでは90年代から先駆してみられてきた現象でもあった。実際に90年代からの米国のコンサートの単価は上昇トレンドにある。
 

 日本もこの世界的な流れに、ゼロ年代から加速度的に傾斜してきたといえるのだろう。CDの売上減少については一時期、デジタル情報としての私的コピーが問題になったが、実証的には否定的な結論もある。むしろCDの販売減少の可能性としては、1)音楽配信チャンネルの多様化が貢献、2)若年人口の減少、3)代替的なレジャーとの競争 などが提起されてきた。津田たちは1)に主因を求めている。
 このライブ収益への依存は、もちろんアイドルたちにも無縁ではない。秋葉原はアイドルたちにとってコアなアイドルおたくたちを一挙に集客可能な、絶好のステージだったといえる。
 このライブ収益を獲得することにまず成功したAKB48の戦略はどのようなものだったろうか。
 まず秋葉原の劇場に会いにいけること自体の価格設定はとても低く、デフレ時代に即応したものである。当初は1000円であり、人気の出たいまも公演料金としては低額な2000円ほどである。会いにいけるコストを低く維持することで、コアなファンたちの継続した観劇を可能にする。AKB劇場にいけば100回以上公演をみた人の実名・匿名のネームプレートが華々しく飾られている。これは他面で低価格戦略の所産であろう。
他方で、ライブに伴う物販は積極的だ。会いにいけるコスト自体は低くしているが、彼女たちをより満喫するコストは、その買い手の欲望とふところ事情に応じてエスカレート式になっている。
 例えば、オタクを惹きつけるスキルと、徹底的なライブ中心の活動という点で、ももいろクローバーや、また東京女子流などは、AKB48が残した偉大な足跡をそのまま徹底的にたどろうとしている。
 しかしそれが成功すればするほど、皮肉なことに、彼女たちのアイドル成功の主因からどんどん遠のいてしまうのだろう。例えば、2月初旬に東京ビックサイトで行った総計9時間に及ぶAKB48の握手会は、事実上「会いにいけなくなったアイドル」が、無理に「会いにいけるアイドル」として振る舞ったイベントであった。この巨大イベントで疲労のために前田敦子と板野友美がダウンしてしまったことは、AKB48が現在抱える問題を象徴している。そして、広範囲な人気を獲得することが、必ずしも成功とはいえないことが、いまのライブアイドルたちの直面する困難ともいえる。
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AKB48のグローバル化
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 AKB48は秋葉原というおたく文化の聖地、デフレカルチャーの権化のようなアイドルオタクたちにターゲットを合わせていた。その一方で絶えず秋葉原の外として名古屋や大阪のようなローカルな市場、さらに日本の外、グローバルな市場も意識している。昨年、ロシアで彼女たちが初のライブを行ったとき、ロシアのオタクたちだけではなく、ヨーロッパの各地から老若男女関係なくファンが集まり、彼女たちに声援を送った。この現象はパリ、台北などでも観察された。オタクは日本だけの存在ではなくて、日本より比率的には少ないが、アメリカにもヨーロッパにも、アジアにもいるのだ。  
 彼らの好きなもの、好きなタイプは、国籍に関わらずある程度の共通性を持っている。ところが日本以外の国には、おたく層の需要に応える、おたくにターゲットを絞り込んだコンテンツが少ない。たとえば、K-POPが2010年から注目されているが、KARAや少女時代と日本のアイドルではその特徴が大きく異なる。韓国のアイドルは、オーディションに合格後、何年もの訓練期間を経て、デビューする。いいかえると完成形態として観衆の前に現れるのだ。当然に彼女たちの歌も踊りも高水準に熟達したものである。これは米国でも欧州でもアジア全域でも普遍的なアイドル育成方法である(最新の情報は、このブログ内の西森路代×田中秀臣の対談を参照されたい)。
 対して日本のアイドルは、スカウトした素人が翌日にはもうデビューという感じであろうか。素人のまま観衆の前に立ち、そこで素人芸としか思えないレベルで歌や踊り、そしてMCなどをこなす。いわばOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)方式で、実演しながらスキルを磨く。しかし基礎的な訓練を積むことを端折っているので、あくまでも素人芸を極める形で日本のアイドルはその生涯を生き切る。つまり韓国や欧米はプロ=アイドル、日本は素人=アイドルの違いなのだ。なので、同じ「アイドル」とはいえ、少女時代とAKB48はまったく異なるコンセプトのアイドルたちなのだ。
 たとえば米国の場合、ハリウッドを中心とするショービジネスの世界がメインカルチャーとして圧倒的な存在で、オタク的サブカルチャーの要素を備えたアイドルは、なかなか育ってこない。素人のままアイドルを育成する土壌やシステムが不在だからだ。その世界的なアイドル市場の隙間に入ってきているのが、日本のアイドルだといえよう。
 AKB48にしても、海外に連れていくと、彼女たちのコンサートを見ようという人たちが大勢集まってくる。ほとんど全員がネット経由で、ユーチューブなどでAKB48の映像を見て、関心を持った人たちだ。先のモスクワのライブには、ドイツからきた60歳の大学教授が最前列でAKB48のメンバーである前田敦子の名前を連呼していた。ちなみに私は49歳(いまは50歳になりましたw)なのでこのドイツの先生には負けたと思った(笑)。
 秋元康氏の発言によれば、台湾48やロシア48を企画するという。AKB48を成功させた手法を、フォーマット化して、世界で展開していくのだ。秋葉原というローカルな土地で成功した手法を、今度はグローバルな舞台に適用していくことになる。 実際にはJKT48が先にできた。これはある意味で非常に先鋭的だ。なぜなら日本にいる海外の留学生で、いま在留している留学生比でもっとも日本の企業に求められているのはインドネシアだ。そういう今後のビジネスの成長性に加えて、人口規模も大きく、また日本のサブカルに対する理解の土俵も少なからずある。面白い選択だ。
 経済や社会のグローバル化により、各国間の文化の差異は急激になくなってしまうだろう。けれども各国の内部の文化の多層性はそれ以上に増加していく。その多層性の中に、日本的アイドル文化というサブカルチャーも含有されているのだ。AKB48はアキハバラを離れてしまったのかもしれないが、今度は世界のアキハバラに広がる可能性を持っているのかもしれない。それはとても刺激的な挑戦だと思う。

田中秀臣著『AKB48の経済学』