この上念司さんや古谷経衡さんたちとの番組でも盛り上がった(?)ガンダムネタで、去年、シノドスメールマガジンに寄稿したガンダムの経済学エッセイを掲載(一部修正)。お楽しみください。

ガンダムの経済学OO(ダブルオー)

 『機動戦士ガンダム』といえば、日本のサブカルチャーを代表するアイコンのひとつだろう。初めて放送開始されてからすでに30年以上が経つ現在でも、ガンダムの旧作をもとにした様々なプロダクツが制作され、また「ガンダム」の意匠を継承する新作アニメや様々な作品が市場に提供されている。

 昨年の今ごろ、僕は初めてガンダム関係のイベントに参加した。このReal Japanでの対談でもおなじみの多根清史氏の新作『ガンダムと日本人』(文春新書)の刊行を記念したイベントで、新宿のロフトプラスワンで開催された。アニメ評論家の藤津亮太氏の司会で、多根氏、僕、それに中塚一宏(民主党議員)、平将明(自民党議員)、町山智弘(映画評論家)の各氏が参加した。

 ガンダムに詳しい人たちとあまり話す機会がなかったので、このイベントは僕にはかなり刺激になった。

 ところで多根氏の『ガンダムと日本人』の内容は、現在も日本の政治の話題の中心である民主党の小沢一郎氏に関連したものだった。多根氏は、シャア・アズナブルを小沢一郎にみたてて、「危険な苦労人改革者」として評価している。また、通説ともいえたジオン公国=戦前のナチスドイツ、地球連邦=イギリス中心の連合国という図式に反論して、前者は戦前の日本、後者は戦後の日本、という新しい解釈を提示した著作だ。たぶん通読すると、ガンダム世界以上に、日本の現代史についての知識を得ることができる一種の比較政治史(ただし比較しているのは、仮構世界と現実世界ーゲンジツと現実ーである)の試みである。

 シンポジウム自体は、前半が政治的な話題が中心になり非常に面白く、また後半は事実上、町山氏の独演会であり、それはそれで町山ガンダム論は大変に参考になった。

 たぶん僕の役割は、ガンダムの世界を経済学の視点からみたり、政府や過去の経済政策についてコメントをすることだったのだろう。後者については、僕の見解は、リフレーション政策の採用(現状のデフレを脱却して、安定的なインフレ目標を達成するもの)に尽きる。他の様々な政策オプションは、大事なものではあるが、日本の停滞の主因からいえば、すべて副次的なものにしか思えない。そしてこのシンポジウムでも自民党の平議員が、日本のマクロ経済政策は、財務省と日本銀行を代表した官僚の声しか利用していない、という指摘をしたのだが、これは僕も深く同意した。いまの日本には官僚の声ではない、普通の経済学に基づく提言が必要に違いない。

 ところで僕のガンダム経済学についての主要な関心はいまのところふたつだ。ひとつは、なぜジオン公国と地球連邦は戦争をしたのか、ということである。もうひとつは、ニュータイプはどのような経済学的な意味を持ちうるのか、というものだ。この前者の問題は、いま話題の日本経済の「財政危機」だとか「財政破綻」だとかいわれている現象を考えるときに興味深い論点を提供している。

 ガンダムの研究史の中で、「なぜジオンは独立戦争をしかけたのか?」という問いに直接答えようとした試みは少ない。一番、包括的な議論をしたのは、僕の知るかぎり、このシノドスメールマガジンの編集長荻上チキ氏と、経済学者の飯田泰之氏が共著で『SPA!』に書いた「週刊チキーダ14回:宇宙世紀の経済学」だけである。

 チキーダ(=荻上&飯田)解釈は、「資本主義が一年戦争の原因」というものだ。直接には、地球と諸コロニー間の債務・債権関係に起因する。

初期コロニ―の建設に必要とした資金をファイナンスするために発行したコロニ―債を償却するために、貿易黒字を生み出す必要に各コロニーは迫られる。そのため各コロニーは、消費を抑制し、借金返済のために苦しい生活を余儀なくされるという。その不満が爆発して、ジオンは独立戦争をしかけた、というのがチキーダ解釈だ。いうなれば資本主義の原理でコロニ―建設をしたことが「一年戦争」の直接の原因ということだ。?

 チキーダはふれていないが、J.M.ケインズがかって『平和の経済的帰結』で、第一次世界大戦で敗戦国のドイツに、イギリスをはじめとした連合国が、巨額の賠償金を請求したことを懸念し、それが次の世界不安につながるとした主張に似ている。この点では、先の多根氏の解釈(ジオンは戦前日本仮説)よりは、やはり通説のジオン=ナチスドイツ仮説の方が座りがいいのかもしれない。

 チキーダの解釈が「資本主義」が原因だとする説に対して、僕は「社会主義」が原因だ、とする主張をとりたい。「社会主義」の前に「国家」がつく、「国家社会主義」がより正確な原因だ。

 まずチキーダの資本主義仮説に対しては、監督富野由悠季氏の発言と矛盾する。なぜならば、冨野氏にとって資本主義とは戦争を抑止するための制度だからだ。彼はマンガ研究家のササキバラ・ゴウ氏との対談の中で主に次のように主張している(富野由悠季『戦争と平和』徳間書店)。

 今後のテロリズムや日常化していく「戦争」を抑えるのは市民や国家ではなく「経済」の役割である。特に世界企業が地球上に偏在していき、そのテロや戦争の抑止に貢献するだろう。この世界企業(コングロマリット)を究極的にささえるのは消費者である。

「消費者が必要だから、実際ジェノサイドをやってはならないというところに、基本的にぼくは立っています」(前掲書、72頁)。

 世界企業の展開が、消費者に支えられるという一種の消費者主権を冨野氏は強調するが、またこの消費者は独特の「新しい価値観」によって行動している。例えば、自由にさまざまな携帯を選択できるのはいいことだが、他方で使える携帯を棄てて新しい携帯に乗り換えるような消費スタイルはおかしい、と冨野氏は考えている。

 「だから自由であるべきだと思うんだけれども、その自由を扶養できる、つまり個人が許容できる自由の範疇と消費量というのはどういうものかをかんがえて、我々は自意識をもって行動しなければならない時代がそろそろきたのかもしれないと考えるわけです」(前掲書、75頁)。

 この「新しい価値観」が、ニュータイプの原型なのだが、それは後でまた議論するとしよう。いまは、冨野氏が、「新しい価値観」を持つ消費者に支えられた世界企業の発展=資本主義そのものが、戦争やテロの抑止に貢献する、ということを確認できればいいだろう。

 ところでチキーダ仮説は実はほとんど正しい。ジオンをはじめ各コロニーが植民地開発にかかわる膨大な債務を有していて(これはシンポジウムについての匿名の指摘だが、冨野氏の『閃光のハサウェイ』(角川スニーカー文庫)にはこの状況の説明がある)、その支払いのために消費を抑制し、つらい経済をすごしている。この「つらい経済」が、膨大な債務の返済圧力によってもたらされた、というところに修正がいると思う。

 経済史家のピーター・テミンは、(ナチスドイツ登場直前の)大恐慌期のドイツ経済を分析して、対外債務の返済は、経済的な負担というよりもいっそう政治的な負担であった。経済的に要求される以上に、返済圧力を過剰に判断した政策当局は、信用圧迫政策(日本でいえば90年代最初の日本銀行による極端な引き締めと同じ)を採用したことが、ドイツの停滞を深めたとしている。

 つまり外国のせいではなく、自国の政策の失敗のせいである。いまの日本でもしばしば「デフレは中国の安い製品や安価な労働のせい」であると外国に停滞の原因を求めるが、そのような主張の多くはだいたいが政策当局自身が広め、そして政策の失敗の隠ぺいに使われる。

 同じことがジオンの場合でもいえないだろうか? コロニーの運営が失敗してしまい、それを事実上隠ぺいするために、「一年戦争」が生じたというのが妥当な見方ではないか?

 そのためのいくつかの論拠もある。まずあれだけ膨大なガンダム世界で、対外債務問題は明示的には一度も語られていないのも妙だ。むしろジオンの経済的な苦境を示唆する場面が多い。停滞した経済(それはもともとコロニー運営の政策の失敗によるだろう)を解消するために、ジオンは「社会主義」的な完全雇用政策を採用したといえるのではないだろうか。もちろんこの完全雇用政策は、ジオン軍によって成し遂げられるものだ。

 この点も戦前ドイツと実に似ている。先ほどの自国政策の失敗による大停滞の出現を回避したのは、ナチスドイツの完全雇用政策だった。具体的には、低大規模な公共事業による雇用増加(賃金は極めて低く抑制された)や、軍事支出の拡大による軍人雇用の増加が中心である。これは同じ大停滞の脱出法であっても、先に僕がすすめたリフレーション政策とは異なる方針である。ナチスドイツの経済は計画経済的であり、その意味で「社会主義」的であるが、「国家」が民間部門を統制し、また排除することを特徴とする「国家社会主義」的なものだった。

 ジオンの場合もナチスドイツ同様に、軍人の雇用増や大規模な公共事業の拡大で、完全雇用を中心にした政策だったのだろう。各種のモビルスーツの開発もこの政策の一環であっただろう。しかしこのジオンの財政支出中心の完全雇用政策はうまくはいっていなかったと思われる。

 例えば、シャアはとてもゴールド=金が好きだ。このシャアの金の嗜好は偶然ではない。また金自体が、ジオンでは対外関係のさいに有力な支払い手段になっていたと思われる(『逆襲のシャア』のシーンなど)。おそらくジオンでは膨大な軍事支出や公共事業の出費によりインフレが加速化していた可能性が強い。「ジオン通貨」が対外決済で利用不可能なほどの高インフレだったかもしれない。シャアがゴールドが好きであり、彼が後々、金で対外決済したのは合理的な理由があったのだ。おそらく高いインフレはジオンの国民生活を苦境に陥れただろう。そしてその「政策の失敗」はまたも隠ぺいされ、自国のミスではなく、連邦政府の責任に転嫁され、戦争への一層の鼓舞に利用されただろう。ちなみに連邦政府は、『機動戦士ガンダム』でも描かれているが、サイド6でのアムロたちの両替に代表されるように、通貨価値が安定的であった可能性が大きい(ひょっとしたらいまのイギリスと同じように連邦はインフレターゲットを採用していたのかもしれない)。

 また民間部門の抑制やその排除は、ジオンの場合、初期においては画期的なモビルスーツMS-06Fザク?の開発などに成功したが、次第に開発インセンティブを損ない、また各部署のコーディネーションの失敗を重ねることで、ジオンの軍事産業は停滞していった。この可能性は、岡嶋裕史『ジオン軍の失敗』(講談社アフタヌーン新書)や鈴木ドイツ『ガンダムと第二次世界大戦』(廣済堂)で指摘されている。

 要するにジオンが「一年戦争」を引き起こしたのは、「社会主義」ゆえであり、またジオンが敗北したのも「社会主義」ゆえだった可能性が大きい。ここで冨野氏の社会主義そのものに対する見解を論じるべきだろうが、それは別の機会に譲る(おそらく宮崎駿氏の社会主義への見解とや、冨野氏の日大での学生運動の経験ともリンクして論ずるべきだろう)。

 さてここでニュータイプ、さきほどの「新しい価値観」についてである。このニュータイプもそもそもはジオンの「社会主義」路線の一環としてでてきたひとつのキャッチフレーズにしかすぎなかった。アムロやララァたちのように超能力的なものとして当初からこのニュータイプが言及されていたわけではない。

 ニュータイプはいわばジオンを中心とする宇宙植民地で生きる人間の価値観、生活の在り方を表象したものにすぎない。例えばこれもナチスドイツやまた戦前の日本でも、資本主義的な営利動機中心ではない、国家運営に資する精神構造をもった人間類型が喧伝された。このようなものとニュータイプは同じものとして利用されただろう。ジオンのために低い賃金でも我慢して、宇宙植民地≒国家の利益のために私益を捨てて貢献せよ、という人間類型である。ニュータイプは超能力的なものになってしまったのはむしろ偶然の産物であり、本来の都合を考えると後付けの意義しかもちえない。

 ここまで考えてくると、ガンダムは社会主義と資本主義というきわめて60-70年代的なありがちなイデオロギー(「大きな物語」としたければそういってもいい)を背景にしていたゲンジツ(仮構世界)だったといっていい。

 ところで、ガンダムとは異なる世界観をもっていると思われがちな『新世紀エヴァンゲリオン』も、上記のような問題圏(資本主義と社会主義)で整理可能だ。

エヴァの方は、人類が半分滅んだ後の世界、要塞都市や現代と大して変わらない消費都市(第三新東京市)を背景にしていた。この要塞都市は、もちろん大規模な公共事業の結果である。セカンドインパクト直後は深刻な不況だっただろう。そして猛烈な公共事業・軍事支出の実施での「特需」での景気回復、そして自然災害防衛都市=第3新東京市が誕生しただろう。

しかし他方で、シンジやミサトたちの日常の消費生活はきわめて安定的であり、その生活は物価安定を示唆している。たぶん当初は、大規模な財政支出と同時に、それを支える積極的な金融政策による経済社会の回復があったのだろう。そして復興後は、膨大な軍事支出をできるだけ抑制する財政計画の採用、統制をできるだけ日常レベルでは意識せずにすむまでに縮減した「資本主義」中心の経済への移行、それに伴う物価安定としてのインフレ目標の導入などが積極的に採用されたのではないか?

 エヴァの場合では、度重なる使徒の攻撃を「資本主義」中心の体制で乗り切る可能性があったのかもしれない(新版はそうなるか? 笑)。しかし、エヴァでも「人類補完計画」だとか「裏死海文書」だとか、あやしげな人類改造計画(ニュータイプとその発想ではさほど変わらない、仕掛けが大きくなっただけだ)による、一大レジーム転換をはかった点では、究極の「社会主義」路線が最終的に優位に立ってしまったのだが。