サブプライム・ローン問題に端を発した世界的な金融危機は、4年が経過した現在においても大きな爪あとを残している。危機が生じた当初は、第二次大戦後最悪の景気悪化となるという懸念もあり、「100年に一度の危機」という指摘がしばしばなされた。そして「100年に一度の危機」という指摘は、80年前に生じた大恐慌(the Great Depression)を念頭においてのものであった。

1. 政策手段を拘束した「金本位制」

大恐慌の原因については過去様々な観点から研究がなされてきたが、現代において支配的な見解は、大恐慌が持つ国際性に着目したものだ。つまり大恐慌の原因は当時の国際的な通貨制度であった「金本位制」と深く関わっていたという議論である。

そして金本位制の問題は、金本位制が政策当局の政策の自由度を奪ったという点にある。金本位制とは、通貨当局が自国通貨と金とを一定の比率(金平価)に基づいて無制限に兌換することを保証する通貨システムであった。金との兌換に応じるために通貨当局は一定量の金を資産として保有していること(金準備)が必要となり、通貨当局が発行する通貨量は金準備に見合った量に制約される。各国が金本位制に従えば、自国通貨と他国通貨の交換比率である為替レートも金の兌換比率に基づいて自動的に決定されてしまうため、金本位制は固定為替相場制と同義となる。

自律的な金融政策、自由な資本移動、固定為替相場制の三つの政策目的の同時達成は不可能であるという「国際金融のトリレンマ」に照らすと、各国は自由な資本移動と固定為替相場制という二つの政策目的にコミットしていた。そして金本位制が自律的な金融政策という手段を放棄させるという形で当時の政策担当者の政策の自由度を奪ったために、十分な対処策を取ることができずに不況は大恐慌となった。事実ベン・バーナンキFRB議長が鮮やかに示したように、金本位制から早期に離脱した国ほど回復は早く、かつ経済へのダメージは少なかったのである。

2. 「金本位心性」という思想的拘束

さて現在の国際通貨制度は変動相場制であるため、各国は財政・金融政策を十分に行うことが可能である。そしてリーマン・ショック以降の各国は大恐慌の「教訓」に従って大規模な財政・金融政策を行った。だが米国の回復は緩慢であり、欧州は債務危機が発生するという苦しい状況、そしてわが国の場合はデフレと経済停滞が続いたままである。なぜなのだろうか?

この疑問に答えるにはもう一度、大恐慌の「教訓」に立ち戻ってみる必要がある。先程大恐慌の原因として金本位制が政策の自由度を奪ったことを指摘したが、80年前の当時においても、例えばケインズは金本位制を「未開社会の遺物」(『貨幣改革論』)と断じて金本位制復帰の決断をした英国の大蔵大臣チャーチルを批判したように、金本位制の持つ問題点と危険性を見抜いていた経済学者は存在していた。だが各国の為政者や金融家は第一次大戦後に一旦離脱した金本位制に相次いで復帰する決断を下すのである。

この決断には若田部昌澄 早稲田大学教授が簡潔に指摘するように、金本位制という国際的な通貨制度が当時の正統派経済学の一部でもあったこと、そして金本位制が「健全財政」、「健全通貨」、「自由貿易」を是とする思想と結びついて、「節約、信頼、安定、世界主義」を代表し「健全」かつ「正常」なものの象徴とみなされていたことが影響した。バリー・アイケングリーン カリフォルニア大学バークリー校教授とピーター・テミン MIT教授はこのような金本位制の持つ思想的側面を「金本位心性」と呼称したが、金本位心性というべき思想的な制約が金本位制の復帰へと各国を進ませ、金本位制を遵守するという制約の中で自ら政策の手足を縛るという失敗を生み出したのである。

3. レジームが経済政策と経済活動を制約する

以上の点の重要性は、2011年にノーベル経済学賞を受賞したトーマス・サージェント ニューヨーク大学教授が提示した経済活動についての考え方を適用することでより明瞭となる。サージェントは経済活動において、アクションとレジームとを区分する。レジームとは人々の行動を規定する政策についての基本原理の体系を指すが、大恐慌の場合は「金本位心性」に加えて、不況は自動的な調整過程であり、この過程に極力介入せず不況を甘受することで景気回復がはかられるとする「清算主義」といった基本原理が相互に関連しあうことで、一つのレジームを形成していた。これを「不況レジーム」と名づければ、大恐慌の原因は「不況レジーム」によるのである。

そしてサージェントは、第一次大戦の敗戦国であるドイツ、ハンガリー、オーストリア、ポーランドの4大インフレといったハイパーインフレの成立と終焉の経験を注意深く考察することで、レジームが変われば経済活動も変化するということを明らかにした。つまり、ハイパーインフレが終了したのは、背後にある貨幣量が減少した事が理由ではない。独立した中央銀行の創設、均衡政府予算に向けての措置、金本位制の復帰という政策が、政策当局のレジーム変化を公衆に広く認知させることで人々の認識や予想を変え、ハイパーインフレの収束に結びついたのである。

そして大恐慌からの脱却においても、不況レジームからの転換が公衆に認知されるかが政策の効果に影響した。先程金本位制からの離脱が早い国ほどダメージは浅く、回復は早かったと述べたが、金本位制の離脱は不況レジームからの本格転換における必要条件ではあっても十分条件ではなかった。

例えば英国の場合は1931年9月に金本位制を離脱したが、その後しばらくの間はデフレ親和的な金融政策が維持された。金融政策の転換が生じたのは、イングランド銀行と大蔵省との論争を通じてであり、1932年2月以降の金利引き下げを契機にして不況レジームからの脱却が認知されたために英国経済は本格的な回復に転じていく。同様の例は日本においても見出せる。日本は1931年12月に金本位制を離脱したが、これだけでは本格回復には至らず、1932年末の日銀による国債引き受けを柱とする金融政策の転換が生じたことが不況レジームからの脱却を促し、景気回復につながった。

4. 「不況レジーム」に捉われる日米欧

こうみていくと、リーマン・ショック以降の各国が大恐慌の「教訓」に従って大規模な財政・金融政策を行っているにも関わらず、回復が緩慢である理由も理解できる。つまり大規模な財政・金融政策が十分な成果を挙げていないのは、政策当局が行っている経済政策が不況レジームを脱したと認知されていないことによる。そして各国の動向を見ていくと不況レジームからの脱却が十分でない証拠を挙げることができる。

例えば欧州債務危機においては、共通通貨ユーロという固定為替相場制の遵守が各国の経済動向に見合った金融政策の実行を困難にしているという問題がある。そして欧州債務危機を収束させるための手段は、共通通貨ユーロを維持することを念頭においたユーロ圏の財政・金融の共通化というプランAか、問題国のユーロ離脱を通じた財政・金融の分散化というプランBという二つの選択肢しかないことはギリシャの巨額の財政赤字が発覚した段階から指摘されていた。現状EUはプランAに向かって進んでいるが、その足取りは遅く危機は深刻化している。危機収束の鍵を握るドイツのメルケル首相は、ユーロ共通債の創設といった各国財政の共通化の試みに反対するとともに、金融政策の自律性を放棄するという形で債務返済不能国ギリシャの景気回復の手段を拘束したまま、財政悪化を抑制するために歳出削減と増税を求めるというアクロバティクな主張を繰り返している。欧州中央銀行(ECB)も遅ればせながら政策金利を引き下げ、機能不全に陥った国債市場への対策を進めているものの、国債の大規模な購入といった手段には踏み込めていない。これらの背景にあるのは、歳出削減や増税を求めることこそが、財政悪化を食い止める唯一の策であり、かつ国際的な信任を維持するためにも必要であるという「健全財政」を是とする思想であり、ECBの金融政策のスタンスとあわせて不況レジームの維持に手を貸しているのである。

欧州や日本と比較すると、米国経済の回復は緩やかではあるものの最も進んでいる。これは株価や生産水準がリーマン・ショック前の水準をクリアしていることからも判断できる。そして米国の回復が進んでいるのは、危機的な局面に対してFRBがQE1、QE2といった形で大胆な金融緩和策を行ってきたためである。FRBの金融緩和策はデフレ予想が定着するのを押しとどめ、ドル安という形で経済に好影響をもたらしているといえよう。ただし回復が緩慢であるのは、オバマ政権の財政政策は十分な規模ではなく、かつ中間選挙で緊縮財政を主張した共和党の茶会派(ティー・パーティー)が力を得るという、景気回復が十分でない中で緊縮財政に踏み切る可能性が不況レジームの維持に手を貸していることが影響している。

そして日本は「失われた20年」というデフレを伴った形での経済停滞に悩まされてきた。この背景には本来自律的である金融政策を自ら放棄した日本銀行の政策スタンスが影響している。特に大恐慌との対応では1929年のニューヨーク市場の株価大暴落(暗黒の木曜日)後も大規模な金融緩和を拒み続けたFRBを支えた思想と通じるものを感じてしまう。当時のFRBは「中央銀行の資金供給は民間の資金需要に応じて受動的に行われるべきである」という考え方(真性手形仮説)に捉われていたが、これは景気が過熱している場合には、民間の資金需要を促進するように金融を緩和し、不況時には民間の資金需要を抑制するように金融を引き締めるという政策を採用させることにつながった。日本銀行の金融政策も同様の仮説である「日銀理論」に捉われている。経済停滞の下でわが国を襲った東日本大震災への対応では、復興策を議論する前に復興のための財源確保がクローズアップされ、紆余曲折を経て復興増税が実行されることになった。復興のための予算措置の遅れは今年の後半には本格化するとみられた復興事業の遅れにつながり、被災地への影響を深刻化させてもいる。増税に関しては消費税の引き上げも将来予定されているが、これらの背景にあるのは欧州と同じく、景気回復が不十分、かつデフレ脱却のための政策の具体化が不十分な状況で財政健全化を優先するといった「健全財政」を是とする思想である。特にわが国においては財政再建に際して歳出削減ではなく増税が優先されている現状だが、アルベルト・アレシナ ハーバード大学教授の実証研究によれば、増税を優先した国は財政再建にことごとく失敗しているという結果も留意すべきだ。日本の場合は自ら自律的な金融政策を放棄するという「円の足枷」と「健全財政」を是とする思想がわが国の不況レジームの持続に手を貸しているといえよう。

5. 鍵となるのは不況レジームからの脱却である

大恐慌は「金本位心性」や「清算主義」といった基本原理が相互に関連しあうことで不況レジームを作り出し、これが不況下で更なる緊縮策をとらせるという手段を通じて経済活動を制約することで世界的な恐慌を生み出した。深刻な景気悪化を打破する際に求められるのは、不況レジームを変えることであり、現代的な文脈では為政者の政策を通じて人々の将来の予想を変えるということである。これに失敗すると、財政政策の逐次投入が常態化して財政赤字の悪化が続き、金融政策の失敗がデフレ予想につながることで実質金利の上昇や資産価格の低下、デフレギャップと失業率の高止まり、さらには設備投資の停滞を経由して潜在成長率の低下をも生み出してしまう。そしてデフレ予想の蔓延を放置することはこれらの影響を持続させ、一時の景気悪化を持続的な経済停滞に深刻化させてしまい、国家を支える社会的な基盤すら侵食させてしまう。これが過去20年間をかけて歩んできたわが国の道程ではないか。

大恐慌の収束は、恐慌という高い代償を払うことで誕生した新たな為政者による政策転換が不況レジームからの脱出を促したことで生じた。2012年は政権交代に関わる選挙が集中するポリティカルサイクルの節目を迎える。80年前の大恐慌を知る我々にとっては、少数の賢人が経済政策を実行することが必要というハーヴェイ・ロードの前提は必須ではない。問題は大恐慌という教訓を正しく理解し、民主的手続きに則りながら、不況レジームに染まった為政者が力を得ている現状を変えることなのではないか。このように考えるのである。

2011年12月27日、三菱UFJリサーチ&コンサルティング『サーチ・ナウ』掲載原稿(一部変更)