先日、作家の朝井リョウ氏が男性としては最年少で直木賞を受賞した、というニュースが全国を駆け巡った。殆どの人は知っていると思うが、朝井氏は私が度々「け傑作だ!け、け傑作だ!」と多方面で吹聴して回っている映画『桐島、部活やめるってよ』(吉田大八監督)の原作者である。今回、直木賞受賞対象作は朝井氏の六作目である『何者』(新潮社)で、「桐島」の方は彼のデビュー作(小説すばる新人賞)に当たる。昨年封切りされた「桐島」の映画版の大ヒットと極めて高い評価が、それをして彼に直木賞を取らさしめたかの相関関係は分からないが、いずれにせよ朝井氏は早稲田大学文化構想学部卒の23歳。極めて前途有望な日本文学会の星である事は間違いない。その精緻で実にリアルな人物描写力もさることながら、出版不況の昨今、クリーンヒットを続ける人気作家でありつつ、決して奢ることない氏の謙虚さには脱帽する。直木賞受賞に際して、新聞は以下のように伝える。

“前作までは学生作家だったが、6作目となる本書(※『何者』)は営業の新入社員として仕事をしながら、通勤前と帰宅後に執筆した。「就職してペースが落ちるかと思っていましたが、それほど変わらないですね」。朝5時に起きるのも慣れたという。”(2013.1.16 「直木賞の朝井リョウさん 戦後最年少の23歳 平成生まれでは初の直木賞」 MSN産経)

原稿料や印税だけではやっていけないという経済的要請もあったのだろうが、朝井氏はこれまで会社員をやりながら作家活動を行なっていたという。それは彼の作品が紡ぎだす余りにも、そして酷すぎるほどのリアルなタッチが、就職とそれに連なる社会人経験をしなければ培養・継続されないことを、当の本人が意識していたからではないかと思う。専業作家になれば、感性が鈍ると彼は自覚していたからではないか。どこまでも謙虚な、まるでジャーナリストの様な氏の姿勢には脱帽するばかりだ。

作家志望だった私の学生時代

朝井氏よりももう少し若いくらいの18歳とか19歳の頃、私は生粋の作家志望であった。札幌市内の公立高校を卒業して関西の私大に入学(2001年)した私は、当初根拠の無い自信に満ちあふれていた。それは「俺は小説家になる」という自信で、今思い返せば実に赤面するような「若さ故の過ち」(シャア・アズナブル風)であったが、「論文入試」という特殊な受験方法(倍率数十倍)で大学に合格した「実績」もあって、実際本当にそう思っていた。俺は文章が特別に上手いと信じていた。高校時代の教諭からも「古谷君は将来作家になるだろうな」と言われていたので内心有頂天だった。
大学に入学して間もなく、学内に「ペン倶楽部」というサークルがあることを知り、その門戸を叩いた。要するに大学生の文芸同人であるが、ただ単に「入部希望」というのは恥ずかしいので、五十枚くらいの短編小説を書いて「持ち込み」入部した。その短編は今でも覚えていて、確かタイトルは『霧』で、何のことはない、カフカのオマージュというかパクリのような内容だったと記憶している。しかしすこぶる部員には受けが良く、入部早々にしてコミュニケーションも進んだ。当時ペン倶楽部は全体で20~30人程の部員を有していたが、実際熱心に活動している「アクティブ・ユーザー」はおよそ10数人強で、彼らは平均して月1回とか2ヶ月に1回ほどの「講評会」というのを開催し、それがペン倶楽部の事実上の「表向き」なメイン活動だった。つまり部員が書いた小説を、部員同士で選評しあう、という慣れ合い活動のことを「講評会」と言っていたのである。

しかしそこで私は己の矮小さを思い知った。如何に関西私大の小サークルとはいえ、全学3万人超を有するマンモス・キャンパスの中から、ペン倶楽部を名指で入部してきた剛の者である。商業誌に掲載しても遜色ない、というレベルのものがゴロゴロと居た。その時、明らかに稚拙な自分の小説表現のレベルの低さを思い知った。徐々に小説家への熱意が冷めていくのを感じたが、一方で私はペン倶楽部に集う部員の人間性に強い興味を感じ、しばらくペン倶楽部を離れることが出来なかった。

サバイバル・ゲームに明け暮れる日々

「表向き」の活動は講評会だと述べたが、ペン倶楽部の日常的な活動は麻雀とサバイバル・ゲーム(モデルガンを使用した銃撃戦ごっこ)だった。これは殆どどんな文化系サークルも同じだと思うが、およそサークルが掲げる「創作」や「創造」とは関係のない遊びに高じるのが大学生の常だ。こういった刹那的な遊びへの参加も、私が自らをして才能の無さという現実から逃避するのに格好の口実になっていたような気がする。そうこうしているうちに、入部して半年も経つと、ほぼ全員「作家志望」という部員の人間性に、ある共通の特徴が顕著に判明してきた。まず第一はそのプライドの高さである。自分はいつか大作家になってやる、という人間ばかりなので、何者にもなっていない内から自分はなにか一端の表現者になった気でいる。ペン倶楽部の部員に共通している点は、親から放漫な仕送りをもらっているという富裕層を除いて、概ね経済的に困窮していたということだ。それもそのはず、「俺は将来先生と呼ばれる存在なんだ」と思っているのだから、肉体労働や単純労働のアルバイトが出来るわけもない。なまじの教養が邪魔をして仕事を選ぶから、カツカツの貧困生活にあえぐ。インテリ貧乏によくあるパターンだが、ペン倶楽部部員も見事にこのパターンを踏襲していた。
世は小泉時代、「いざなぎ景気を超える史上最長の景気拡大」と言われた時代だった。もちろん所得上昇の実感には乏しかったが、選ばなければいくらでも大学生にアルバイトはあった。夏休みや冬休みにも短期で合法的にかなり稼げるバイトは沢山存在していた(実際、私の周囲はその恩恵に預っていた)。しかしプライドが邪魔をしてそこから遠ざかっていた。

永遠に終わらない大いなる助走

もう一つ顕著だったのは、「一発逆転」思考の蔓延である。「自分はいずれ作家になるのだ」と思い込んでいるから、地道な努力をせず、例えば「群像」(群像新人文学賞)とかに応募して一夜にして作家になるパターンを思い描いていた。あたり前のことだが、群像新人文学賞でデビューできるのはごく一部の、その中でも更にごく一握りの才能に限られている。しかしそれでも、その一粒が自分なんだと信じて疑わない。ここで言う、「地道な努力」というのは、文芸同人誌を作ったり、インターネット・サイトを開設して自分の小説を世に問う、という地を這うような拡散活動の事をいっているのだが、そういう事ではなく、或る日突然出版社から「貴方の原稿を読みました、ぜひ我社で単行本を出させて下さい!」というニュアンスの電話がかかってくることを夢想するかのような、本当に映画的な一発逆転を思考する向きが非常に多かったことである。あたり前のことだが、そんな事は実際には起こらない。仮に起こったとしてもそんな都合の良い話は存在せず、必ず自費出版を強要するだとか裏がある。

しかし一旦肥大したプライドは雪だるま式に増長を続け、まだ何者にもなっていないのにも関わらず、まるで一端の評論家や大作家のような居丈高な思考と態度に囚われる。筒井康隆氏の長編小説『大いなる助走』は、「焼畑文芸」という地方の文芸サークルを舞台とした、サークル内の嫉妬と血みどろの権謀術数を描いた名著であるが、筒井先生曰く「小説家になりたければ文芸サークルには入るな」という言葉は正に至言であると思った。

「蜘蛛の糸」待望論

ゼロ年代初頭の当時、まだ通信速度はブロードバンドならぬナロードバンド(ダイヤルアップ接続のこと。要するに超遅い)も厳として多数派を占め、画像や動画をふんだんに使えないという技術的な要請から、当時の個人サイトの主力は手打ちのテキスト・サイトだった。ブログという大変便利なシステムが登場する以前の話だ。しかし文芸同人という世界(即売会を含む)も既に存在していたし、漸く普及し始めたインターネットを駆使していくらでも創作の輪を広めることはできた。決してそういった最新の「通信事情」に疎かったわけではなく、寧ろくオタク的にネットと親和性の高い性質を持っていたペン倶楽部の部員が、なぜ有りもしない「一発逆転」思想に囚われ続けたのかというと、それはひとえに怖かったからである。地道な創作活動の道を選んで、もしそれが公衆に否定された時、己の自我が崩壊してしまう事を心底では恐れて居たのであろう。だからある日突然、出版社と言う名の救済機関が、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のお釈迦様のように、カンダタである自分を地獄から釣りだしてくれるはずだ、という妄想に拘り続けたのだろうと思う。

彼らのこうした人間性を垣間見るに辺り、私から徐々に創作への熱意が冷めていき、そして有りもしない創作活動の「蜘蛛の糸」よりも、まず社会生活基盤の盤石なる方が重要であるとの結論に達し、入部から1年弱を経て、私はペン倶楽部に全く顔を出さなくなった。正式な退部届はついぞ出していない。届を出しに部室を訪問するのも億劫に感じたからだ。

西尾維新さんのこと

そんなペン倶楽部時代も「思い出」となりかけていた数年後、私は西尾維新氏という作家の存在を知った。ライトノベル業界では彼の名前を知らぬものはいないというほどの、若手の気鋭作家である。実際、彼の作品を読んだことはなかったが、『化物語』などの主要作品が軒並みアニメ化してヒットしている事から、逆算して原作者である彼の名前を知ったのだった。驚いたことに、西尾氏は1歳違いの同年代で、同じ大学出身で、学部は違えど(彼の学部棟は私の学部の眼の前にあった)同じキャンパスであった。どこかですれ違い、もしかしたら同じ講義を受けたり、同じ食堂で飯を食ったかもしれない。ひょっとすると彼と知らず会話を交わしたこともあったかもしれない。彼に関するささやかな調査を開始した所、関西圏で彼の素顔を知る数少ない知人の話を聞くことが出来た。西尾云々はペンネームとのことだが、私の知る限り彼が我がペン倶楽部に入部していた、という事実は存在しなかった。私は途端に嬉しくなった。同じ学校の出身者である、という親近感とかそういうことではない。彼がペン倶楽部に入っていなかった事が何よりも嬉しかった。ペン倶楽部の部員が、なけなしの優越感と選民意識で地道な創作活動を一切せず、ひたすら肥大した自意識の虜になって、世の中を斜めに見ながら、麻雀牌を片手に経済がどうの、政治がどうの、社会がどうのと論評していた時に、西尾さんが人知れず孤独に耐え、多分京都市内の、私が住んでいたアパートからさほど遠くないであろう近所の自室に篭り、小説を書きまくってデビューしていたことが率直に嬉しかった。私達が雙ヶ岡(ならびがおか・京都市右京区)の丘陵で馬鹿みたいなサバイバル・ゲームに興じていた時、西尾さんは我々が夢にまで観たカンダタにたらされた細い糸をたぐって地獄から一人、抜け出していたのだと。そして、結局ペン倶楽部を離れた私の行動が何か正しかったことのような、その証明のような気もした。

Twitterが自意識を誤解させる

朝井リョウ氏は多分西尾氏と通じることがあるように思う。小説家として世に出る人は多分共通しているのかもしれないが、ある種の謙虚さが根底に存在している。それは自分が生活者である、という目線かもしれない。生活者、と書くと何やら左翼臭が漂うが、一部のブルジョワジーを除いて我々が生活者であるというのは隠しがたい事実だ。

いま、TwitterやFacebookが全盛である。特にTwitterは、著名人や有名人に話しかけると運が良ければ返信がくる。総理大臣やアメリカ合衆国大統領となると話は別だが、ちょっとテレビに出ている学者や評論家などであれば、タイミングさえ合えば気軽にフラットにやり取りが出来る時代だ。しかしこのフラットというのが癖もので、何者でもない一般人が著名人から返信をもらうことにより、自分はまるで何ものかであるかのように錯覚してしまう自意識の危うさを含んでいる。自分はまるで何かの分野での評論家と同格になったかのように思い、「ネット弁慶」とも取れる居丈高な言動を繰り広げるようになる。正しく、私が体験したペン倶楽部の部員の精神構造に似ている。ここではない何処かに本当の自分があって、いまでこそ自分は困窮しているが、本来の自分はこんなものでは決して無いのであって、いずれ世に認められる才能があるのだ、という大錯覚である。

「高等遊民」思想が蔓延するデフレ世代

この様な錯覚がやがて大きな悲劇を生む事は明白である。私がかつてアルバイト(といってもほぼ正社員)で務めていた京都市内の物販会社の社長は、親が韓国慶州出身の在日韓国人であった。四六時中、何かに対して激昂しているような、典型的なワンマン社長で、時としてその筋の人間や連中と絡んでいたりと、話題に事欠かない人物であったが、私はひとつ彼から学んだのはプライドというのは粗大ごみに等しい価値観だということである。

「古谷君、日本人と朝鮮人の違いが分かるか。例えば大便の中に100円玉が入っていたとする。朝鮮人はそれを拾うが、日本人は手が汚れるからと断念する。これが在日が戦後成功した理由だ」

といった彼の説教を今でも覚えている。要らぬプライドこそ、成功を疎外する最大の要因だと彼は教えてくれた。彼に関するエピソードは事欠かないのでそれは別項に譲るとして、私は若い日本人に、このような「高等遊民」的発想が一部蔓延することに危機感を感じている。なにも作家志望やペン倶楽部の部員に限ったことではない。綺麗で、清潔で、何か自尊心を刺激するような業種や行動がステータスのようにもてはやされる。これは危険である。生活者の視点が何処にもない。いずれしっぺ返しを食らうだろう。そういった意味で、生活者に密着した朝井リョウ氏の直木賞受賞は、文学界の未来云々とは別に率直に素晴らしいと思う。
勿論この理由の根底には、悲しいかな、我々デフレ世代に特徴的な自意識が凝縮されていた様にも思う。努力して賃金や年収が上がったり、積み重ねの上にある「成功」の体験が自分にも周囲にも存在していなかったから、「一発逆転」の思想に拘泥したのかもしれない。今思い返して分析するとそんな気がする。ただそれを肯定したり実践したりするのはまた別問題であろう。やはりそういった思考は間違っていると思う。特別な例外を除いて、成功は積み重ねの上にしか存在しない。長期不況下にもかかわらずパチンコが一定の売上をキープしているのは、この「積み重ね」の出来無い人々にとって、それがすがりつく唯一の「蜘蛛の糸」に見えているからではないのか。

積み重ねのできない人々

因みに、私が所属していた当時のペン倶楽部部員から作家や評論家が排出されたという報は10年弱を経た今でも、ついぞ聞かない。今でも彼ら彼女らは、いつかカンダタの蜘蛛の糸が垂れてくると本気で信じているのだろうか。それとも、そういった一縷の妄想を捨て、平凡な会社員や主婦に落ち着いたのだろうか。交流が絶たれた今となっては知る由もないが、ひとつだけ言えることは、積み重ねを基底とする生活者の目線を失った創作には何の価値も魅力もないということだ。戒めの意味を込めてそう断言したい昨今である。

(本稿は青林堂『ジャパニズム 11』号? ”REAL×REAL Vol.4 朝井リョウ氏直木賞受賞のリアル”2013.2.10 に加筆修正を加えて転載したものです)