二十年近くにわたって続くデフレ不況。今年に入り、安倍首相のリーダーシップもありデフレ脱却の兆しが見えつつあるが、長く続いた不況が社会に残した爪痕は深い。

かつて、「一億総中流」と言われた日本経済も今は見る影もなく、民主党政権においては貧困問題の専門家である湯浅誠氏が内閣府参与に就任したことからもわかるように、「貧困」問題が大きくクローズアップされた。

本書のテーマである「ワリキリ(売春)」も大きくこの貧困という問題と関わる。荻上氏も本書で指摘するように、今まで社会の中であまり可視化されてこなかった女性の貧困問題に、売春という現象は大きく関わってくるからだ。

ところが、荻上氏によれば日本で売春を貧困問題として捉えようとすると、大きな反発を受けるという。現代日本において売春は貧困問題ではなく、個人の道徳の問題だとして受け止める人が多いのだ。

確かに、個人が売春をする動機・理由は様々であろう。本書において荻上氏がおこなった、ワリキリをおこなう百人を超す女性へのフィールドワークの記録を読めば、個人個人がワリキリ(売春)を行うにいたる経路は千差万別であり一様ではないということがよくわかる。

だが、非正規労働者は男性より女性に多いことや、男女の平均所得の格差などを考慮するなら、男性より女性のほうがより厳しい貧困問題に直面していることがわかる。それを、「個人の問題」として道徳の問題の水準に落とし込んでしまっては、決して売春問題の解決にはつながらないであろう。

荻上氏は「逸脱行為の当事者になるか否かは、環境的要因と個人的資質との積で決まる」と指摘する。ワリキリ(売春)を行うようになるかは、個人的資質からの自らの選択としてという割合が多い場合もあるし、環境的な要因の割合が大きなウェイトを占める場合もある。

そうであるなら、私たちの誰しもが場合によっては自らが望まないワリキリ(売春)の当事者になる可能性があるということである。ワリキリ(売春)は誰もにとって他人事ではないのだ。

一部の人々の逸脱行動の記録としてではなく、私たちが暮らす社会の姿自身を知るために本書を読むなら、よりいっそう多くのものが得られるに違いない。