明治以降から戦前までの日本の経済学の歴史の中で、最も独創的な貢献を行った人物として、高田保馬の名前を挙げることは、それほど奇異なことではないだろう。高田に深い影響を受けた森嶋通夫は、高田の業績をリカード、ワルラス、ケインズらと並んで重視した。高田は経済学だけではなく、社会学においても重要な貢献を成した。特に階級、民族、国家について独自の分析を行った。高田が敗戦後いち早く出版した『世界社会論』では、戦時中の全体主義国家論を乗り越える、多様性な価値観や宗教を抱擁したグローバルな社会論が展開されていた。
高田は、1883年(明治16年)に佐賀県三日月村(現在の小城市)に、神職と農業を営む裕福な家の三男として生まれた。第五高等学校(現在の熊本大学)在学中に、社会学専攻の希望を固める。京都帝国大学文学部(社会学専攻)を卒業し、やがて京都帝国大学経済学部教授に着任する。高田が社会学と同時に経済学に大きな軸足を置くようになったのは、彼が幼い頃に育った農村の困窮化、また都市での貧困の悪化などを目撃し、それを解決するにはどうすればいいのか、という自問の末であった。戦後は、大阪大学経済学部経済学部長および社会経済研究所室長に就き、森嶋通夫、安井琢磨らに影響を与えた。1964年(昭和39年)、文化功労者として顕彰される。生涯に残した著作の数は、経済学、社会学、そして優れた歌人としての作品集など100冊を優に超えている。
高田の中で経済学と社会学はひとつのキーコンセプトで結ばれていた。それが「勢力」である。高田の経済学はそのために別名「勢力経済学」とも称されている。この「勢力」とはなんだろうか? それにはまず高田の思想面をみておく必要がある。
高田は、人間はさまざまな種類の欲望から構成されている存在だと考えた。単に食欲などの生理的な欲求を満たすだけではない、人間は社会的な欲望を持っている。社会的な欲望は、二つに分かれる。一つは、同じ考えや見かけを持つ者同士で群れようとする「群居の欲望」である。しかしこの群居の欲望だけだと同質的な社会しか生まれない。現実の社会では、階級や分業などの現象が発生しているではないか。高田は、社会的な欲望には、他人と自分とを区別し、自分をより優位にみせたいという「力の欲望」が存在するとした。この「群居の欲望」と「力の欲望」の二つが重なることで、社会は統合されるとともに、その内部で「力の欲望」の大小によって社会分化(社会の多様性)が進んでいく。例えば、戦時中における単一な民族の価値観を押し付けるような全体主義国家観は、高田にあっては、人間の欲望のあり方を抑圧し、社会の多様性を損なうものとして映った。
高田は、特に能力や技術などで他人を優越したいという「力の欲望」を「勢力」と言い換えた。その上で、この「勢力」思想を経済分析に応用した。具体的には、「経済的勢力」と「経済外的勢力」との2つのカテゴリ―に分けて、労働問題などに応用した。経済的勢力とは,簡単に言えば金銭や財・サ―ビスを用いて他人を支配する力である。高田は経済的勢力を具体的に,労働組合の交渉力の強さとして考えた。一方で,経済外的勢力とは、「伝統,習俗,慣習,世論,思潮」などを通じて労働者の所得に反映すると考えた。経済外的勢力を客観的に計測するものは、社会保障の充実,生活水準の改善,教育などであり、これらの水準が高まれば、それだけ経済外的勢力は上昇すると考えた。高田が最も精力的に活動した1920年代から30年代にかけては、長期の不況が続き、失業や貧困が大きな経済問題だった。高田は失業や貧困を解き明かす原因として、この経済外的勢力を重視していた。
 例えば、労働市場が完全に競争的な市場であるならば,労働需要と労働供給の一致する水準で雇用量と賃金は決定される一時的に失業が発生しても、賃金が伸縮的に低下することで完全雇用水準になる。ここでは労働者は市場で決まった賃金に基づいて行動するのみである。しかし高田の考えた労働者たちは違う。(経済外的)勢力の観点から、自分の待遇がみたされないときには、市場賃金で働くことを拒否してしまう。
 これは労働者がプライドを重んじて行動することに似ている。労働者は自分のプライドを充たさないような賃金水準を受けようとしない。プライドに固執するため賃金は一定の水準で安定的なものになる。 このとき注意すべきは、このプライドは個々人の思い込みで決まるのではなく、あくまで慣習や評判などの社会的な文脈で決まっているということだ。
 このように社会的に認知されたプライドを重んじて行動してしまうと、完全雇用は実現されないかもしれない。なぜなら完全雇用をもたらす市場賃金よりも、この勢力(プライド)を織り込んだ賃金水準が高止まりし、失業は容易に解消されない。
 ところで、この勢力による労働者の賃金の高止まりは、都市労働者だけの問題ではなかった。高田の故郷での経験(農村の窮乏化)をも解き明かすものでもあった。第一次世界大戦後、農産物への需要が減少し、また植民地から安価な輸入品が増加することで、農村の生活水準は低下した。その一方で、都市部では労働者たちの経済外的勢力の増加によって所得が高止まりしていた。農村の低い所得と都市部の高い所得は、前者から後者への労働者の移動を促し、ますます農村は働き手を失い窮乏化した、と高田は考えたのである。もちろん都市に移動した人たちの生活も楽ではない。都市に流入した人たちがすべて職を得るわけではないからだ。農村に戻ることもできないまま都市の失業者は増加し、それが都市での貧困も招いた。
 このように、高田の勢力経済学は、戦前の日本を、都市と農村の二重経済としてとらえた実践的なものであった。では、彼の貧困と失業の解決策はなんだっただろうか? 
 ひとつは都市から農村への所得の再分配であった。この政策はやがて戦後の高度成長期に実現していくことになる。もうひとつは高田の独創である「貧乏論」である。つまり「力の欲望」(勢力、プライド)自体を抑制せよ、という政策だ。この後者の貧乏論は、一見すると単なる精神論の次元としてみなされかねないが、高田の現代的意義を考えるときに重要だ。
 現在の日本経済は長期のデフレ不況である。私個人の見解は、積極的な金融緩和でのデフレ脱出だ。この考え方に対して、例えば社会全体で負担を分散化して不況を脱出する考えもある。一つの例はワークシェアリングだ。これは高田の見解を応用すれば、働くもの同士がお互いに勢力を競い合うことを少しだけ抑制して、勢力の少ない人たちに自分の勢力を分けてあげること、それを通じて雇用の機会を広げよう、という考え方になる。
勢力経済学と、多様性を活かした世界社会論も含めて、高田の発言の真価が問われるのは実はこれからもしれない。

『週刊エコノミスト』10月8日掲載の元原稿。