以下は『電気と工事』(オーム社)4月号掲載の論文「増税をしたい動機の経済学」に加筆修正したものである。同誌は超専門雑誌であるが、毎号、なかなか書けない経済の話題を自由に寄稿できる稀な雑誌となっている。心ある方はぜひ連載の方もお読みいただければ幸いである。ちなみに五月号は「「アメリカの影」と文化経済学」と題して基地の文化と経済を論じる前半部分になっている。

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 本日、2014年4月1日から消費税税率は5%から8%に上がった。その消費税の効果がどう出るのか。例えば政府は増税に備えて補正予算などで5兆円超の経済対策を行うので無問題だ、みたいなスタンスだ。本当にそうなのだろうか? 僕はそうは思わない。消費税増税の悪影響の規模の方が、この経済対策をかなり上回ってしまい、日本経済が減速していくリスクを避けられないのではないか、と考えてる。もちろん僕の予想が外れるのならば、それはそれで結構なことだ。だって日本経済には悪い影響がなかっためでたしめでたし、ってことだから。

 ところで消費税増税が経済に悪影響をもたらすならば、もちろん増税しないのがベストなはずだ。ところがそうはできなかった。この政治的な理由はなんだろうか? 政治家や国民の多くが、消費税増税が「高齢化社会への対策」や「将来不安への解消」につかわれるから納得したせいだろうか。僕は特に政治家や官僚たち、そして彼らの身近にいる関係者たる一部の国民が、そのような美辞麗句を信じて増税をすすめたとはちょっと思えない。

 「増税すれば、経済に悪影響をもたらす」。この「」内のことについては、増税をすすめる人たちも反対する人たちも共通して賛成している。違いは、賛成派は1)だからその悪影響をなくすため補正予算などで経済対策を行えばオッケイ、反対派は2)そもそも増税しない方がいい。もし政治的に押し切られたらそのときはやむを得ず経済対策をしなければいけないが、それは本当に馬鹿げたことだ、という態度の違いになる。2)の人からすると、「馬鹿げたこと」をやるには、何か理由がある、それも経済的な理由がある、と思いたくなる。そしてそれはだいたいにおいて当たっているというのが、経済学の見方だ。

 例えば、補正予算が増えればそれに伴ってムダだと評価されていた事業が復活し、「ゾンビ事業」化しているとメディアは伝えている(「約8割がゾンビ復活した無駄予算 使い切れぬ予算は官僚の埋蔵金に」『週刊朝日』2014年2月28日号)。そのゾンビ事業の総額は4千億円近くだ。しかも多くの金額が市中に出回ることもなく、その事業の基金などでいわゆる「埋蔵金」化してしまう。「埋蔵金」は官僚やその事業に関係する利害関係者の恣意的な判断で使われてしまうだろう。このように予算が増えればそれだけムダな支出が増加していく。そのムダな支出を目当てにする人たちがいかに多いのか、という証拠でもある。まさに寄生虫のネットワークのようだ。

 おそらくこのような予算に群がる寄生虫ネットワークの住人たちにとっては、消費税増税対策の補正予算は、甘い蜜以外のなにものでもない。むしろこの甘い蜜をほしいために、消費税増税をすすめたり黙認しているのだろう。

 ところで2)の反対派にとっても政治的におされてしまい増税が不可避のいまとなっては、やはり経済対策を立てなければいけないことは明白である。そのときのキーポイントは、なるべく「ゾンビ事業」や社会的にムダなものに支出しないように工夫することが重要になってくる。ところが、2)の人たちには、2-1)金融政策と事実上の減税対策で対応する人たちと、2-2)公共事業を中心にする人たちのふたつに大きく分かれている。そして政治的にもメディアへの発言力でも後者の(2-2の人たちの方が優勢に思える。例えば、政府の国土強靭化対策をこの補正予算などをてこにしてより一層すすめたい人たちなどはそのカテゴリーに入るだろう。

 僕自身は、(2-1のカテゴリーの方に入る。まず「事実上の減税」対策の方だが、今回の消費税増税は家計の実質所得に大きな悪影響を与えること、それが家計消費の大きな落ち込みを招く可能性がある。そのため、家計の実質所得の減少をふせぐ対策が必要となってくる。

 以下の提案は、片岡剛士さんと僕が共著で書いた論説(『日本経済は復活するか』(藤原書店)に収録)で提起したものだ。

 具体的には、所得税の減税措置や低所得者層への給付金の支給が重要だ。消費税増税による家計への悪影響は、年収200万円未満の世帯で年8万円、300万円世帯で11万円、500万円世帯で12万円、800万円世帯で16万円、1000万円世帯で18万円、1500万円世帯で24万円となる。食費相当分ではなく、所得が低い世帯から順にこれらの負担額を給付金で行うことが重要だ。また金融政策については、日本銀行と政府が現状よりもさらに大胆な金融政策に踏み込むことを提案したい。具体的には、日銀法を改正して日銀の政策目標に「雇用安定」を新たに追加する。物価と雇用の安定化にコミットする姿勢を明確化し、現在の政府が目標としている「名目成長率3%、実質成長率2%」という成長目標を引き上げ、期限を決めて「名目成長率4%、実質成長率2%」を掲げることである。そして具体的には、長期国債や各種のリスク資産の日銀の購入を通じて追加緩和政策を実行することである。

 もちろん公共事業を全否定しているのではない。防災やあるいは社会に役立つ価値のある公共事業は行うべきだろう。もちろんその際には、なんでもかんでも「社会的に価値がある」と大声でどなったり、または人命を楯にするのではなく、最低限の経済性をみたす必要がある。たとえば、その公共事業によって生み出される社会資本設備(道路、港湾、堤防などなど)の便益と費用を比較しなくてはいけない。もちろん便益が費用を上回ればその公共事業は最低の社会的価値をみたすものになる。それを実際に「やらなければならない」と社会に強制するものではないことに注意しておきたい。逆に便益を費用が大幅に上回ればその事業を行う意義が乏しい。先ほどの「ゾンビ事業」のほぼすべては社会的な価値に乏しいものばかりだった。

 また経済の落ち込みをふせぐ効果の点でも公共事業には大きな問題がある。簡単にいうと、あまり公共事業は経済の落ち込みを防ぐことができなくなっている。その理由はいくつかあるのだが、ここでは「公共事業の人的制約説」を紹介しておきたい。例えば、現在の土木や建築関係の現場では、作業員が著しく不足している。その大きな理由は、作業員の多くが高度な専門技術を有しているため、それに適応できる人材が容易に調達できないためだ。そのため公共事業費が増えても、公共事業の執行がなされない。そのためお金の大半が使われないまま死蔵してしまう。もちろん死蔵されれば世の中にお金がまわらないため経済に刺激を与えることがない。この「公共事業の人的制約説」のためにも金融政策や減税政策を中心にすすめることが望ましくなる。しかし公共事業中心主義の人たちはなかなかこの問題を真剣に考えない。むしろ頓珍漢な議論を展開しているんだが、それについてはまた機会を改めて論じよう。