5月28日のオバマ大統領の陸軍士官学校での演説と、31日のヘーゲル国防長官の第13回アジア安全保障会議での演説の内容を要約すれば、米国にとっての最大の脅威はテロリズムであり、地域安全保障については選択的に関与し、当該地域の同盟国・パートナー国の自助努力を支援するというものといえる。強制歳出削減などにより、求められる対外政策と実際に投入できる資源の差、いわゆる「リップマン・ギャップ」への対応を余儀なくされた米国にとっては不可避な選択なのかもしれない。そして、当然このような米国の「内向き」の姿勢は同盟国・パートナー国の不安を惹起させる。とりわけ、米国のアジア太平洋地域における「リバランス(再均衡)」を求める同盟国・パートナー国にとっては切実な問題である。しかし、米国が「リップマン・ギャップ」によりこのような「内向き」の姿勢になったのは「ニクソン・ドクトリン」などに見られるように今回が初めてではない。むしろ米国にとって「ニクソン・ドクトリン」以降のおよそ10年間は、「リップマン・ギャップ」への対応を模索しつつ、70年代末より顕在化する米ソ新冷戦に対応するためにグローバル・レベルで同盟国・パートナー国との関係の再構築に取り組んだ時期ともいえる。昨今、ウクライナ危機を契機に、欧州の安全保障環境を冷戦とのアナロジーで論じる傾向がある。アジア太平洋地域の安全保障環境については、接近阻止/領域拒否(A2/AD)の観点から、中国の対米軍事戦略を冷戦期のオホーツク海におけるソ連の対米軍事戦略とのアナロジーから分析する傾向がある[1]。このように、現在の米国が直面する安全保障環境を検討する上で、冷戦とのアナロジーは興味深い示唆を与えると思われる。本稿は「リップマン・ギャップ」への対応の観点から、米国のアジア太平洋地域における「リバランス」について冷戦とのアナロジーで論じることで、今後の米国のアジア太平洋戦略の展開と同盟国としての日本の在り方の検討に際しての一つの視座を提示する。

アジア太平洋地域では米国の軍事的優越性を前提に、米国を軸とする二国間同盟(ハブ・アンド・スポークス)と多国間協議制度が親和性を保つことで、当該地域に重層的な安全保障アーキテクチャを形成している。2009年1月に発足した第1期オバマ政権は、外交政策上の優先課題としてアジア重視の姿勢を打ち出した。クリントン国務長官(当時)は最初の外遊先としてアジア諸国を歴訪し、対ASEAN関係の制度化の強化に努めた。2010年7月のASEAN地域フォーラム(ARF)では、クリントンは南シナ海の領有権問題についてASEANの立場への支持を表明することで中国を牽制した。また2012年6月の第11回アジア安全保障会議では、パネッタ国防長官(当時)が太平洋と大西洋との艦艇比を6対4にすることを表明するなど、アジア太平洋地域の多国間協議制度は米国の当該地域への関与の在り方を表明する場として機能している。2013年1月より発足した第2期オバマ政権は、強制歳出削減により軍事費の大幅削減を余儀なくさせられる一方で、2014年4月のオバマのアジア歴訪時に、ASEANの「対中前線国家」ともいうべきフィリピンと新軍事協定を締結しハブ・アンド・スポークスの強化に乗り出した。このように第1期から現在にいたる至るオバマ政権のアジア太平洋戦略を概観すると、ウクライナ危機や強制歳出削減など難題に直面しつつも、安全保障アーキテクチャの枠組み中でアジア太平洋地域への「リバランス」に向け踏み出しているといえる。

アジア太平洋地域の安全保障アーキテクチャの形成については、当該地域における包括的多国間協議制度であるARF が発足したポスト冷戦期以降の現象とする見方が一般的である。しかし、その萌芽はすでに冷戦期に存在していた。そもそも、ハブ・アンド・スポークスは冷戦期からアジア太平洋地域に広範囲に形成されており、ASEAN・米国対話パートナーシップの開始やARFの母体となるASEAN拡大外相会議(PMC)への米国の参加も70年代末期に始まった。70年代は米国が「リップマン・ギャップ」への対応を模索する時期であるとともに、ソ連が海軍力により東南アジア地域への影響力拡大を試みた時期でもあり、現在ASEAN諸国が中国の海軍力増強に直面している事態と類似した状況が存在した。ソ連の東南アジア地域への影響力拡大の試みはASEAN諸国にとって安全保障上の一大脅威であり、「慈悲深い大国」あるいは「穏健な覇権国」としての米国の安全保障面での関与を必要とした。そのため、ASEANは対話パートナーシップの構築により対米関係を制度化し、米国の安全保障面での関与を引き出すことに努めた。当時のカーター政権の米国は、在韓米軍撤退政策や在比米軍基地協定改定交渉などハブ・アンド・スポークスを巡る課題を抱え、当該地域の同盟国・パートナー国の安全保障面での不安を惹起させた。しかし、カーター政権の米国は「太平洋国家」として、78年2月の太平洋海空軍増強を嚆矢に軍事力の漸増を進め、同時にハブ・アンド・スポークスの揺らぎを解消させていった。また、78年末のカンボジア紛争の勃発は冷戦構造と連動することで米国とASEANの戦略的関係の形成を促進し、79年7月の米国の参加を得たPMCは米国のアジア太平洋地域における安全保障面での関与を表明する場として機能した。このように、既に冷戦期に米国は「リップマン・ギャップ」に直面しつつもアジア太平洋地域への「リバランス」を進め、その過程で米国の軍事的優越性を前提に、ハブ・アンド・スポークスと多国間協議制度との親和性を基調とした安全保障アーキテクチャの萌芽が形成されたといえる。

また、カーター政権はアジア太平洋地域への「リバランス」を進めると同時に、78年5月のNATO首脳会議で加盟国に防衛費増額とそれに基づいた防衛計画を採択させるなど、79年末のソ連のアフガニスタン侵攻以前からグローバル・レベルで対ソ軍事的封じ込め政策を展開していた。オバマ政権もアジア太平洋地域への「リバランス」に取り組むと同時に、ウクライナ危機の以前からNATO防衛政策を進めてきたことが指摘されているように、欧州における対ロ軍事的封じ込め政策を着々と展開してきたといえる[2]。そして両政権とも、中東において難題に直面しつつ以上の政策課題に取り組んだ(取り組んでいる)という共通点をもっている。

もっとも、カーター政権が防衛費を漸増したのに対し、オバマ政権では2014~15年会計年度には緩和されたとはいえ今後も強制歳出削減の影響などの不安要素がつきまとう。一方で、カーター政権期米国のアジア太平洋地域への「リバランス」に際して、日豪など重要な同盟国やASEAN諸国が外交的努力を怠らなかったことを忘れてはならない。カーター政権の対ソ政策は保守派から弱腰と非難されたが、その基本路線は後継のレーガン政権に踏襲された。先のアジア安全保障会議でヘーゲルは「リバランスは目標でも公約でも未来像でもない。現実なのだ」と述べた。日本をはじめアジア太平洋地域の米国の同盟国・パートナー国の役割は、当該地域の安全保障アーキテクチャを政治軍事面での環境変化に対応するよう進化・発展させることで、ヘーゲルの発言が次の政権に継承される不可逆的な流れを作ることであろう。


[1] 例えば、道下成徳「アジアにおける軍事戦略の変遷と米海兵隊の将来」沖縄県知事公室地域安全政策課編『変化する日米同盟と沖縄の役割―アジア時代の到来と沖縄』(2012年7月)を参照。

[2] サミュエル・チャラップ、リー・ファインスタイン「水面下で進むオバマのNATO防衛計画」『ニューズウイーク(日本版)』2014年4月22日。