本対談は、佐藤氏の近訳『コモン・センス』(トマス・ペイン著、PHP出版)を土台に進む。はじめに、独立前のアメリカが対英追従に甘んじていたことと、戦後日本が対米追従に甘んじていたこととの類似性を指摘する。次に、「親米保守」「反米保守」「左翼」が「アメリカを強い」と認識しているという点で共通しており、アメリカが衰退する覇権国であるという現実から目を背けていると断罪する。続いて、現在のアメリカがウィルソン主義からモンロー主義に転換する中で、「親米保守」のレーゾンデートルが揺らいでいると指摘する。一方で、「左翼」は反米を掲げつつも憲法9条を墨守することでアメリカを受容しているという点で、「親米保守」と通じるものがあるとする。最後に、覇権国から転落しはじめ孤立主義の姿勢を強めているアメリカに協調、追従するだけでは日本の存立と繁栄は確保されない一方、「アメリカの理想」である「近代の理想」を崩壊させないための折り合いをつけることが肝要であると結論付ける。

大体以上のような(言い古された)展開なのだが、第一印象として、中野氏が、自由や民主主義、法の支配や人権を普遍的なものとする「アメリカの理想」に付き合っている「親米保守」と「左翼」を断罪する一方で、佐藤氏の、以上のような「近代の理想」を崩壊させてはならないとする主張に首肯することに違和感を覚えた。また、中野氏は、以上のように「アメリカの理想」を日本人が受容することに批判的であるが、その理由を全く合理的に説明していない。このことは、本対談を、主張の一貫性や批判の根拠という点から内容の乏しいものにしている理由の1つであろう。

また、本対談に通底しているのは、日本人の対米認識を「親米保守」「反米保守」「左翼」の3類型に分類し批判するようでいながら、結局のところ「親米保守」と「左翼」の批判を主目的としていることである。佐藤氏が「親米保守」と「反米保守」との関係を「マイナスにマイナスを掛けてもマイナス」になるという「数学にはない政治の特徴」の例としてあげているが、それは対談者にとっては「親米保守」と「左翼」との関係についてもあてはまるのであろう。評者自身は、争点によって立ち位置は変わるものと考えているので、自らを「○○保守」や「左翼」と規定するつもりはない。ただ、まがりなりにも戦後の日本が繁栄と平和を享受できたのは、日米同盟と憲法9条のバランスが重要な役割を果たしたと考えている(国際政治が一義的には「力の体系」であることに鑑みれば、日米同盟がより大きな役割を果たしたのではと考えている)。その意味では、対談者が批判する「親米保守」と「左翼」との関係には「プラス×プラス=プラス」の側面があるとも言えるのではなかろうか。日本人の対米認識は以上のように3類型に分類できるほど単純なものではなかろう。

「アメリカと戦争」について民主党と共和党の党派性だけに注目していることも単純化のそしりを免れ得ない点であろう。それぞれの党の中でもイデオロギー的に外交安全保障政策観について様々なグループが存在するわけで、党内で対立するものもあれば党を超えて親和性を持つものもある。そして現実の外交安全保障政策は国際環境や国内外の多元的アクターの相互作用の産物であることは言うまでもない。

最後に全体を通した印象についてであるが、覇権国アメリカの凋落を不可逆的な流れとの前提で対談が進められているにもかかわらず、アジア・太平洋地域におけるグローバル・コモンズ(国際公共財)とアメリカとの関係を無視していることに違和感を覚えた。米中関係、日中関係、中国・ASEAN関係、そしてアジア太平洋地域に存在する同盟・パートナー網などの変数を考慮にいれず、日米関係を2国間関係の文脈だけで語ることについても同様である。本対談は対象を過度に「単純化」することにより、生産性のある議論の土台を欠いたものであると指摘せざるを得ない。