本書は、保守論客である古谷経衡氏が、今後の日韓関係のあり方について考察、提言をしている書である。

古谷氏は、「無韓心」という言葉のフレーズから、この考えは福沢諭吉がかつて唱えた「脱亜論」と同じではないかと読者は思うかもしれないが、両者はまったく異なったものであると説く。

そしてまず、福沢の「脱亜論」が、単純に中国、朝鮮を蔑視して書かれたものではないことを指摘する。

確かに現在私たちが「脱亜論」の文章だけを読むと、福沢が朝鮮と中国(清)を「東方の悪友」と決めつけ、これらの国との絶縁を宣言していると読める。しかし、この「脱亜論」が書かれた当時の背景を丁寧に理解しなければならないと古谷氏は指摘をする。

そもそも、福沢の朝鮮への関心は一八八〇年代に日本を訪れた金玉均ら朝鮮内の「開明派」メンバーとの接触に端を発する。

当時、アジア主義を構想していた福沢は連帯の対象として朝鮮に期待を寄せるが、金玉均ら朝鮮内の「開明派」は決して主流派とはいえず、朝鮮内の保守派は朝鮮を近代独立国家とするよりも、中国(清)を宗主国とする冊封体制の護持を選んだ。

追い詰められた金玉均らは後に甲申政変と呼ばれるクーデターを策謀、決起をするものの計画は無残に失敗し、朝鮮内の「開明派」は徹底的な弾圧を受ける。

この甲申政変の翌年に書かれた論考が「脱亜論」である。そのため、このテクストを読むに際しては、福沢の朝鮮内「開明派」への支援とその挫折という背景を理解した上でなければ、正確に彼の真意を理解できるものではないのだ。

評者は古谷氏が指摘するように、上記のような文脈を踏まえず、福沢の「脱亜論」を韓国を貶めるための根拠としたり、感情的に韓国を誹謗するような言論に賛成するものではない。

だが、評者はまた同時に、古谷氏の主張するように、21世紀の日韓関係のソリューションとして、韓国に対して距離を置き、無関心な態度を貫き通せばよい、という意見に賛同することもできない。

先月、韓国・世宗大教授の朴裕河氏が自身の著書の販売禁止を求められる裁判を起こされた。

朴裕河 慰安婦支援者に訴えられて

『和解のために』などの著作で知られる朴氏は、決して媚日的、親日的な研究者というわけではなく、比較的ニュートラルな立場から、今後の日韓関係の和解の方向性を模索してきた研究者である。

その朴氏の著書ですら販売禁止を求められるような事態を鑑みれば、韓国の慰安婦支援者団体が、今後も日本に妥協的な姿勢を取ることは考えられないだろう。

浅羽祐樹氏による『したたかな韓国』には、そうした中で、日本政府がどのような外交戦略を取れば国益を最大化させられるかを考えるためのヒントが多く示唆されている。

そのような意味で、本書は『したたかな韓国』と併読されることによって、その魅力がより一層際立つ一冊であると評者は感じた。

・参考文献
月脚達彦『朝鮮開化思想とナショナリズム』東京大学出版会
月脚達彦『福沢諭吉と朝鮮問題』東京大学出版会