指原莉乃(以下、愛称の“さっしー”で統一)が総選挙で二連覇の夢に破れた直後、彼女と内田裕也がコンビを組んだ「シェキナベイベー」が発売された。“シェキナベイベー”(shake it baby)、この記憶に残るフレーズは、内田裕也が四六時中口にしているのでいつの間にか、そのような曲はすでに内田自身が単独で発表しているものだと勘違いしていた。つまり内田の旧曲をさっしーと自己フューチャーしたのかと。しかしこれは正真正銘、二人の最新作だ。

 時代がようやく「デフレ不況」を脱したプチ・バブル的雰囲気と、さらに内田の英語の歌詞へのこだわりーここではそれを「アメリカの影」と呼ぶーがともに仕組まれた楽しい作品に仕上がっている。

 動画サイトyoutubeで閲覧できる短縮版にはないが、完全版ではオープニングで、高級外車に乗ってきた堺正章が、ペラペラと英語でふたりの紹介を行うシーンがある。実に派手でゴージャスな演出だ。さっしーと内田が乗っているサイドカーも黄金仕様、舞台も黄金色。まさに80年後半のバブル経済期で、黄金の延べ棒を地元の“名物”にしたり、あるいは純金製のトイレが話題をよんだ時代をほうふつさせる。ちなみにさっしーはバブル経済未経験者、まさに長期不況しか生まれてこの方知らない“デフレ”世代に属する。

 サイドカーに乗っている内田は21世紀になってからのおなじみの「死神博士」風の装い、かたやさっしーは、かっての「セレブ・ビッチ」パリス・ヒルトンを想起させるお金のかかった衣装で、彼女の持ち味である妙にエロい生足を披露している。面白いのは、助手席に座っている内田がまるでさっしーにお守をされている好々爺にも見えてしまうことだ。のちにHKT48のライブで「シェキナベイベー」を唄った時に、さっしーは緊張している(!)内田を優しくフォロー(介助)している。その意味では、これは単なる高度経済成長やバブルを知っている老世代と、ポストバブルのデフレ世代との共演ではない。将来の日本の高齢化を救う一つの象徴にもなっているかもしれない。実際に、僕も年を重ねて、どこかの施設でさっしーみたいな女性に介護してもらえれば最高の終末であるw。

 ところで曲中でのさっしーではないが、そもそも「シェキナベイベー」って何? 

 ググればわかるが、もともとビートルズの「ツイスト・アンド・シャウト」の中で使われてて、直訳すれば「腰を激しくふれ」みたいな感じだろうか。
しかもこの言葉は80年代のどこかだったと思うが、ビジーフォーのグッチが内田の真似をして流行させた。つまりはネタだ。ここらへんの事情は、『内田裕也 俺は最低な奴さ』(白夜書房)での内田裕也と近田春夫(今作でも総合プロデューサーに秋元康をアレンジした影の立役者)との対談に詳しい。

内田 世間じゃ、シェケネベイビーだっつうんだけど、この野郎、腹がたつんだ、「シェケナベイビーが歩いてる」とか。この野郎 (略)ガキまで一時さ、沖縄に行ったらさ、観光バスがバッと止まって「シェケナベイビーだ!」「バカ野郎」って言ってやったよ。

 こんなに嫌っていたネタとしての“シェキナベイベー”が、再びネタとして再生産され、ましてや「俺は、ずっと、シェキナベイベーだ」とまで曲中で内田に言わせている。しかも林真理子との対談では、このときのさっしーの掛け合いの“間”のとり方が素晴らしく、「少し本気になった」と内田にいわせるほど、この“シェキナベイベー”はまさにロックンロールになって昇華しているといっていい。ちなみにカップリングの「Satisfied」(内田のソロ)も最後にやはり“シェキナベイベー”で閉められている名曲だ。

 ネタが転じて、内田の信条であるロックンロールの核心みたいに高められたこの言葉。ちなみに内田のロックンロールとは、あえていえば「世界をつなげるエロかっこよさ」とでもいうべき動きだ。この動きに合わせて“シェキナベイベー”しようぜ、というのがこの曲のいかしたメッセージというところだろうか。

 さて僕にとって内田裕也は、やはり80年代から90年代最初のいくつかの映画で記憶されている。彼の“内田裕也とザ・タイガース”時代、ましてやロカビリー・ナベプロ時代や戦後のジャズ喫茶での営業時代などまったく知らない。

 初めて内田を目した1,980年代、すでにヤバく出来上がったおっさん、という雰囲気で登場した。しかも彼の代表作『 嗚呼!おんなたち猥歌』『水のないプール』『十階のモスキート』は、僕自身は内田と同時に中村れい子の艶技によって鮮烈に記憶されている。おそらく中村れい子のことを知る人はいまや相当の年配だろう。しかし僕と同じ世代ならば、内田と共演していたころの中村れい子の面影を、さっしーに見出すことに時間はかからないに違いない。とても似ているのだ。そのエロい表情、大胆さ、そして演技的な感性などの点で。

 中村れい子は内田との共演以後はぱっとせず、全盛期に比べると色あせた写真集だけ残して芸能界から消えている。考えてみると内田とかかわった女性たちはかなりヤバい状況に陥ることが多い。まるで内田にその精気とエロさをすべて吸収されてしまったかのようだ。某国際的女優は、内田の都知事選出馬を契機にして多額の負債をせおい、最近ではアダルトビデオでエロさの微塵もない姿を晒している。

 彼女が出演した青春ドラマからのファンでもある僕は愕然としてしまう。他にも全身ガン女優になったり、惨殺されたり、内田自身のストーカー被害をうけたりと、彼にかかわる女性陣は惨々な眼にあっている。さっしーもその危険がないのか不安になってしまう。

 ところでこんなろくでもない(笑)ロックンロール爺さんとさっしーには面白い共通点がある。このふたりの活動を表現する言葉がなかなか見つからないのだが、一種のプロデュースする能力、あるいはコーディネーター的才覚とでもいうべきものを、ともに有している。あるいは単に「媒体」とでもいうべき性格というか。特に内田の人生とは、さまざまな分野(音楽、映画、文化)などでさまざまな人間と人間を接触させてひとつのムーブメントを生み出す産婆役的役割をほぼ「無意識」で演じていることだ。先ほど言及した内田と近田春夫のインタビュー本などは、まさに戦後の日本の文化シーンの人名録のような体裁になっている。その中で、具体的に内田自身が何か彼の画期をなす作品を生み出したかというと(映画やCMなどを抜かすと)答えはノーだ。彼自身がこだわりつづける毎年のNew Years World Rock Festivalが、彼の代表的な「作品」だといえる。そしてそれはまさに媒体としての運動なのだ。

他方で、さっしーもまた媒体的運動をその特徴としている。『指原莉乃プロデュース 第一回ゆび祭り?アイドル臨時総会?』はもちろんその代表的な業績だ。HKT48劇場支配人という地位も、この媒体運動の一環だろう。もう少し具体的にみてみると、林真理子は、対談でさっしーに魅力を感じて、「シェキナベイベー」の特典に登場している。リリー・フランキーもそうだろう。そもそも内田自身もまたテレビの番組でたまたま出会ったさっしーに魅力を感じたひとりなのだ。

林真理子:どうして指原さんだったんですか。
内田裕也:2年前に出演したバラエティー番組が、CDの売り上げ対決で負けたほうが俺に説教をうけるという、なんかよくわかんない設定で。それで若い子が突然入ってきて、俺の目の前でカラオケを歌いだしたんですよ。 林:それが指原さんだったんですね。
内田:この子おもしろいなと思って。今回レコーディングの話があったとき、「だったら俺はあの子とやりたい」と言ったんです。(『週刊朝日』2014年7月18日号)

 なによりも本人がセンターを取った代表曲「恋するフォーチュンクッキー」は、それこそロンドン、中国、ニューヨークから、日本の大都市、地方まで、さまざまな人たちを結びつけることに成功した、AKB48の代表曲である。まさにさっしーの媒体運動としての真骨頂であろう。

 内田とさっしーの特質を、いまのところ「媒体運動」と名付けたが、どうも実はしっくりいっていない。なぜなら彼&彼女は「媒体」と同時にまた「破壊者」でもあるからだ。そのきっかけは、両人とも「スキャンダル」だ。スキャンダルが、ひとつの媒体運動を破壊し、また次の媒体運動を巻き起こす。内田とさっしーの活動をみるとそれは一種の弁証法的なものに思えてくる。

 スキャンダルは経済学の課題になりうる。例えば、さっし―が男性スキャンダルで博多のHKT48に飛ばされたのは誰でも知っていることだろう。このとき、さっしーがスキャンダルと引き起こしたことで失う機会費用を考える必要がある。機会費用というのは、もしスキャンダルを起こさなければ得たであろうさまざまな潜在的な経済価値のことだ。例えばさっしーの場合、スキャンダルが報道されたのは、ちょうど2012年の総選挙で好順位をつけて周囲がその将来を待望したときだ。おそらくその後はいろいろな芸能活動の広がりがあっただろう。しかしスキャンダルによって一時的にせよ、そのような経済的成果をすべて彼女は失った。これをスキャンダルの機会費用という。しかし一般の人間とさっしーや内田のようなタイプの芸能人の違うところは、スキャンダルを逆手にとって自らの商品価値に転換できることだ。この商品価値のことを「スキャンダルがもたらす追加的な芸能人価値」とでも名付けよう。この「追加的な芸能人価値」が「スキャンダルの機会費用」を上回ると、スキャンダルはさっしーのアイドルとしての位置を向上させることができる。

 現実的にも、スキャンダルが発覚して翌年の2013年の総選挙では見事、さっしーは第一位を獲得している。規模でも人気でもAKB48は日本の女性アイドルナンバーワンなので、この時点で彼女は日本の女性アイドルの事実上のナンバーワンに勝ち上がったことになる。まさにスキャンダルの経済原理をうまく生かしたことになるだろう。内田もいままでさまざまなスキャンダルをひきおこしてもそのたびにそれを自らの芸能人価値に転化してきた。さっしーもそんな手法を内田から吸収するとますます面白くなるかもしれない。