河上肇は20世紀前半の日本を代表する経済学者だった。1879年に山口に生まれ、1946年に京都で没するまでの彼の人生は、波瀾万丈であった。京都帝国大学で経済学を教える教員としての側面と同時に、彼はマルクス主義経済学を実践する政治的な「闘士」としても著名だった。また通常、マルクス主義では宗教は否定的な扱いを受けがちだったが、河上は「科学的真理と宗教的真理の統一」という観点から、宗教的なものに独自の意義を見出すことで、自分を独特なマルクス主義者としてとらえていた。また河上は初めからマルクス経済学を支持していたわけではない。もともとは人間の価値を第一とするヒューマニズム(人道主義)的な経済学を中心に、人間社会のエゴイズムや暴力、貧困などにどう立ち向かうかを真剣に考えていた。ちなみにマルクス主義では、人間中心の価値観で経済問題を判断するのは間違いである。マルクス主義では、簡単にいうと、経済のシステムの在り方そのものが、人間の考え方に影響を及ぼすのであって、その逆ではない。

 河上も当初のヒューマニズム的な経済学(人間の望ましいあり方で経済システムを評価する経済学)から、マルクス経済学(経済システムの在り方が人間の生き方を支配する経済学)へと立場を移行した。ただ河上の場合は、先の宗教的真理を重視していたように、生涯にわたって人間の望ましい生き方を基準にして経済を判断する姿勢を捨て去ったとは思えない。ここに河上が今日でも忘れられていない存在になっている一因がある。実際に、河上の没後70年を経て、彼のヒューマニズム的経済学の代表作のひとつである『貧乏物語』がしばしな新聞やテレビなどで紹介されるのは、彼の人間らしい経済学を求めるその情熱に依拠している。

 河上肇の『 貧乏 物語』が大阪朝日新聞に掲載されて、今年でちょうど100年になる。一世紀前の著作だが、いまだに世紀を超えて読み継がれる意義がある。『 貧乏 物語』は20世紀のはじめに、イギリスなど欧米で一般的な光景であった「豊かさの中の貧困」がやがて日本にも到来するという、河上肇の危機意識をもとに書かれたといっていい。ここでいう「豊かさの中の貧困」とは、河上肇の指摘では先進国の中で「経済上の不足」に陥る人々の状況を指している。河上によれば「経済上の不足」とは、「生活の必要物を享受しておらずという意味の 貧乏 」である。しかもこの意味の 貧乏 が、都市の豊かさの背後で着実に進行している、というのが河上の問題意識であった。

 生活を維持することができないギリギリの経済状況を、河上は「 貧乏 線」と名付けたが、これは食費、被服費、住居費、燃料費、雑費などを含める「一人前の生活必要費の最下限」である。いまでいうナショナルミニマムに該当する福祉思想を河上が念頭において、「 貧乏 」の問題を捉えていたのは間違いない。と同時にこの「 貧乏 線」以下の境遇におかれる人たちがなぜ 今日 の豊かな経済大国に多いのか、その謎を究明し、それに対して適切な処方箋を提起することが、『 貧乏 物語』の狙いであった。

 ところで『 貧乏 物語』は、なぜ題名に「物語」がつくのだろうか。もちろんノンフィクションを想定して書かれたわけではない。他方で、専門的な内容が中心だが、「文人河上肇」の真骨頂を示す「作品」でもある。一気に流れるように読める文体、古今東西の古典や歴史的資料への膨大な参照、そして文明論的な警句にも充ちていて、絢爛たる織物を見ているがごとき著作である。その意味では「 貧乏 の経済学」よりも「 貧乏 物語」の方がふさわしかったのかもしれない。この「物語」を織りなす縦糸は生命誌的視座であり、横糸は東西文化論である。前者では、まず河上は蟻の社会を解説し、さらに原始時代にまで遡って人間の由来とその特質を解説する。蟻の社会でも高度な進歩が観察できる。しかし人間にはその原始時代からひとつのユニークな点がある。それは道具の利用である、と河上は指摘する。この道具の利用が順次進歩することで、人間社会は蟻の社会とまったくレベルの違う豊かさを手にいれたとする。また横糸では、『 貧乏 物語』を書いた数年前の欧州諸国での留学経験が反映している。日本は個人がなく、国家中心の「国格」であり、他方で欧米は個人中心の「人格」の国であるという東西文化の比較である。この縦糸(生命誌的視点)と横糸(東西文化論)は、『 貧乏 物語』の「 貧乏 」分析に興味深い特徴を与えている。

 河上によれば、道具の利用によって他の生物とは比較にならない生産性を手にいれ、それが豊かさを実現しえたに見えた。しかし実際には現在の欧米諸国には「 貧乏 線」を下回る人々が多い。なぜか? 河上によれば富裕層の贅沢によって、貧困層の生活必需品が不足しまたその価格が高くなったがためである。いわば経済格差が、河上の「 貧乏 」を生み出している。ここにトマ・ピケティの『21世紀の資本』の議論を思い出すこともできる。ピケティによれば、21世紀の今日、先進国経済を中心にして、ますます経済格差は拡大していくだろう、持てるものと持てざるものとの格差が広がるだろう、とするものだ。河上はピケティに先立つこと100年前に、先進国特有の「 貧乏 」がやがて日本にも到来するだろう、と予測していた。

 ピケティでは経済格差を縮小するためには、国際的な税制度の改革、特に富裕層への課税と貧困層への再分配が重視されていた。河上の場合では、残念ながらピケティほどの具体的な税制改革の処方は見られない。他方で、東西文化論の視点でいえば、この「 貧乏 」への対策は、欧米と日本では異なる。欧米は個人の生活をあくまで救済するためにその政策が設計される。対して日本はあくまで国家中心にその「 貧乏 」の解消が求められるだろう。例えば国力の伸長に貢献する健康な国民を損なうことがないように。あくまで国が中心で、個人はその付属である。

 河上は日本のこの国家中心的な「 貧乏 」対策を、人間中心的なものに転換する必要性を感じていたに違いない。ナショナリズムとヒューマニズムの対立とその相克は、河上の格闘でもあったが、いまだに我々の課題でもある。